姜垠一という現象
人は、なぜか、自分に合わない職業につくものだ、という話は、自分自身を含め含蓄深いと思っています。例外として、中には「これしかない」という最適な職業を選ぶラッキーな人もいます。姜垠一さんはその中の一人であることには間違いありません。ラッキーであると言うのは周りの勝手で、本人はそれゆえの苦労はきっとあることでしょう。
加えて、彼女の中には、韓国・朝鮮が営々と培ってきた弦楽器演奏の最良の伝統がそのまま体現しています。あのビブラート、気持ちの乗せ方、何より高い志、誇り、他者と分かち合いたいという狂おしいまでの思い。
ドレスリハーサルの時、彼女が一番気に入っていた私の曲「哀しみ・grief」を演奏した後、最大限の興奮を抑えきれない彼女が「そうです!こういう演奏があるから、私は生きているのです。」と叫び、いても立っても居られない様子でした。そこには微塵の嘘もないことは誰の目にもあきらかでした。
打ち上げで彼女は、息子(22歳・ソウル大作曲科)の紹介では、「私のために生まれてきた」と言い、ご主人(プロデューサー)の紹介は「私の宿命」と言っていました。その「私」とは「私の音楽」の意味なのです。自分などさておき、自分を通して出てくる音楽に対してそう言っているとしか思えませんでした。
それほどの自信と誇りと宿命を思って楽器に対している音楽家は世界広といえども、数少ないでしょう。朝3時4時まで起きていても6時にはヘーグムの稽古を欠かさない、時計代わりです、とご主人に聞きました。
彼女がこれからの韓国伝統音楽ヘーグムを背負っていくことは誰もが認めるところです。パット・メセニーともペヨンジュンとも共演するのは、履歴に箔を付けるだけのこと。そんなことでは微塵も変わりません。
その彼女が(コムンゴの許胤晶、ピリ・打楽器の元一も)フリーインプロビゼーションに並々ならぬ興味と覚悟をもっていることは特筆すべきことです。今回、いろいろ聞き取り調査をしたところ、韓国に特にフリーインプロの伝統があるわけでは無く、これら三人が姜泰煥・金大煥さんを尊敬し、その素晴らしさに打たれ、続けているということのようです。
ちょうど、ペーター・コヴァルトさんがブッパタールの自宅スタジオORTで様々なセッションを繰り返した時に、当時の音大に通っていた多くの学生が足繁く通い影響を受けたことと同じように思います。クリストフ・イルマー、グンダ・ゴッチャークさんなど今のブッパタールインプロシーンを牽引する人達。
そんな彼女が、私や沢井一恵さんに思いを馳せて今回の公演を実現させました。日韓関係がかなり悪い時期に、しかも韓国の国立劇場で日本人二人を呼んだ公演にはいろいろとあった事でしょう。
運動は一人で起こるのだし、起こせるのです。
私が帰国する直前の参鶏湯会食の時に、彼女が「音楽は人を癒し、社会のためにある」と言いました。それに対し私は「姜垠一さんには、人がなぜ音楽をやるのかの答えがすべて備わっている」と答えました。
昨年のユーラシアンエコーズ第2章コンサートで運命的に出会った姜垠一・許胤晶と喜多直毅の繋がりを大きく発展させねばならないと思いました。
ここにこそ希望があると確信します。