太陽と月と

tetsu saitoh ( kan )002

 

ピアノ・バンドネオン・バイオリン・チェロ・箏・ドラムスは「太陽」楽器、コントラバス・ビオラ・17絃は「月」楽器のように思っています。演奏する人の性格もまた影響を受けているようにも思います。

 

車を運転しながらシャッフルで音楽をかけていると、急に音が鳴らなくなり、壊れたか?と思うとだいたいベースソロ。つづいてバッハのバイオリンソロなどがかかると、なるほど我々は月族だな、しかたないよ、と思うのであります。

 

クラシック音楽アンサンブル、タンゴコンフント、ジャズアンサンブルなど「オーソドックス」な楽器編成になるとほとんどの場合、月族楽器は「本来」の仕事に従事するしかないのです。太陽楽器が明るく大きくメロディを奏でそれを支えます。シューベルトの「鱒」は、太陽(ピアノ・バイオリン・チェロ)と月(ビオラ・コントラバス)の対比で聴くことができます。それはそれで楽しい訳です。(特に太陽が良い演奏家だと)。

 

しかしそこには様々な音色を試したり、弱音を使って全体を演出したり、無音と対峙する音楽を作ることは滅多にできません。クラシックならコントラバス用の柔らかい松脂を使って出来るだけ大きな「聞こえる」音で低音部を弾くことに集中するほかはないのです。だからこそ「オーソドックス」なのでしょう。だからこそさまざまな音楽が発展してきたのでしょう。

 

私がオーソドックスな楽器編成をほとんど用いない理由はこのあたりにあるのかもしれません。例外的にオーソドックスな編成をしたCD「アウセンシャス」は1ヶ月間で数回のライブをやって録音をしました。バイオリンの近藤クロさんがとても素晴らしいので後半に参加してもらいました。それまではバイオリンのパートをコントラバスでやっていました。当然バイオリンのように弾くことは出来ません。バイオリンに弾いてもらうと物事が実にスムーズに流れていきます。「なんだ、こういうことだったのか~」と思ったのでした。

 

 

現在の東京の奇跡のような喜多直毅カルテット、最近のウエイン・ショーターカルテットを聴いてそんなことを思いました。太陽、月それぞれ事情があります。おたがい好きなことをやっていくしかないのです。太陽と月が合わさってはじめて「明」なのですから。

 

2日のキッド、5日のポレポレともにそんな視点が共通しているな〜と今さらながら思いました。

 

 

 

 

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