エアジンでベースソロ、こんな私に誰がした?

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10月5日に横濱エアジンでコントラバスソロをやります。インプロ祭の中のひとつ。

 

http://yokohama-airegin.com/

 

横浜市中区住吉町5ー60(関内、馬車道駅)

 

045ー641ー9191

 

 横濱国際インプロ音楽祭2013<

 

  Yokohama Impro’Musica Fes’ 2013<Aki> 

 

   19:30/ ¥3000(w.1drink)

 

 

 

 

 

コントラバス奏者は、「なにかっていうと集まってアンサンブルやったり、ソロやったり、いったい何なのよ?」と、よく言われています。「良い音程を取ることさえムズカシイ楽器で、下手にメロディを取る必要は無いんだよ、伴奏に回ってこそベース本来の良い味が出るのに」とか、「特にあのテツとかいうやつぁ、小難しいことを言ってソロとかデュオとかベースアンサンブルばっかりやってるし」

 

 

 

はい、はい、よ~くわかっております。どうしてこうなっちゃったかの言い訳ゴタクを書いてみます。特にジャズの視点から。こ~んなわたし~に誰がした?あるいは、伴奏したい!と思わせるソロを取ってください。お願いします。

 

 

 

ジャズ界の主役はサックス、ピアノ、トランペット、ドラムですね。そんな中でコントラバスは人知れずシーンを支えてきました。見回すとベーシストはアマノジャクが多いようです。イエスと言わずにともかく何でもノーと言う人さえいます。反権力的な人も多いようです。日頃のベース生活がそうさせるのでしょう。

 

 

 

あんな大きなものを運んでリーダーの音楽実現に貢献します。でも心のどこかでは「ベースが音楽を決めているんだぜ、試しにベーシストを換えてみな、音楽が違うものになるから」と誇りを持っています。しかし、移動が大変だからとツアーの時は呼ばれなかったり、リーダーになる機会が来ても何をやって良いか分からなかったり、もありえます。こうしてだんだんと複雑な性格になっていくようです。

 

 

 

ともかく「聴こえる」音を出してくれ、と要求されます。あんなに大きくて重いものを苦労して運んできたのだから聞こえないのは私たちにしてもかなりイヤです。フリージャズの場合など音の洪水的な音の中で聞こえる音は高音だけになり、やたらと高音の弓弾きだけになったりします。クラシックのオーケストラでは最後の最後に1発鳴らすシンバルを、これでもかと始終フォルテで鳴らしたりはしょっちゅうです。ちょうどベーシストは耳のあたりにあるシンバルの強打をじっと聴くしかないわけです。難聴にもなります。

 

 

 

音質を犠牲にしてピックアップ、アンプを使うことを必要悪として義務的に考えなければなりません。しかし私などは音質が何よりも大事でやってきていますので、それを犠牲にするには、そうとうな理由が無ければなりません。私にとっては、音楽は音質によって決まるのです。もちろん、良質の真空管アンプで出すブーストされたベース音の心地よさはわからないではありません。が、私の出る幕ではありません。

 

 

 

だいたい太鼓の音はもともと大きいしもともと野外のものです。それをこともあろうにバチまで使って室内で音を出すのです。かつてヨーロッパでスネア(響き線)禁止令が有ったということです。太鼓の音は人の心をアジテートするという理由だそうです。とくにスネアのノイズをニンゲンは大好きです。ノイズ発生装置は日本の「さわり」が専売特許のハズがありません。全世界中ノイズなのです。幸か不幸か、ドラムセットというのが人間工学的にもの凄く上手く作られてしまいました。両手両足を効率よく使います。お祭りの大騒ぎのためには必要不可欠です。決して否定はしません。

 

 

 

マイルス・デビスグループでアンソニー・ウイリアムスの溌剌としたドラムス、ジョン・コルトレーングループのエルビン・ジョーンズは凄まじかった。ジャズはやっぱりドラムだね、と思わせます。ドラムスというアフリカに、西洋楽器が挑んでいく姿がジャズだという説もあります。

 

 

 

その影でベースはどうなったでしょう?ロン・カーターは電化に進み、音質を失ってしまいました。「聞こえないよ、何とかしてよ!」というトラウマがロンのような位置にいたベーシストには毎日毎日大変だったことは容易に想像できます。聞こえる大きな音を出そうと、指にマメを作り、それが破れ激痛の中でも止めることができない日常から開放されたのです。

 

 

 

ジミー・ギャリソンのソロはいつも無伴奏になってしまいました。他の楽器が十分に叫びカタルシスを得た後にベースソロが回って来ます。みんな休みたいのでベースの無伴奏ソロになる。その頃には長時間の伴奏で疲れ、インスピレーションも枯渇しています。そんな時に無伴奏ベースソロ!フラメンコギター奏法もそんな中から生まれたのでしょう。しかしジミーも自然にグループから外れていきます。

 

 

 

セシル・テイラー、アルバート・アイラーグループのサニー・マレイのドラムスの中でゲイリー・ピーコックはレコードでは素晴らしく聞こえますが、実際あの音質であの音量バランスはありえません。レコード芸術なのです。ライブでは聞こえる音を出していたことでしょう。ピーコックもラファロもアルコを試した時期がありました。ベースの可能性をもっともっと伝えたかったのでしょう。(ピックアップ・アンプに長けたミロスラフ・ヴィトウスがそれを解決しました。)セシルもヨースケもベースを外していきます。

 

 

 

コントラバスの魅力は何と言っても倍音と雑音成分です。そこに尽きます。ピアノの弦(同じ音で複数弦さえあります)の倍音が10本の指からひっきりなしに出されるそばにコントラバスが音を出したらせっかくの倍音成分が吸われていってしまうのです。グランドピアノのへこんだ部分にコントラバスがいるようにセッティングされがちですが、私はピアニストの背中側で演奏することを主張します。

 

 

 

ある打楽器奏者はたくさんのタムタムを丁寧にチューニングしていました。コントラバスの倍音はみるみる吸われていきました。目に見えるようでした。レ・クアン・ニンさんは現在バチを使いません。たった1つのバスドラムの上での摩擦音を主にしています。これならコントラバスと生のまま合奏できるのです。

 

 

 

(今や電化がドンドンと進んで、ロックやポップスの大コンサートではドラムスが一番音が小さな楽器になりました。ドラムスの楽器一つ一つにマイクを付け拡声しなければならなくなってしまったのです。あるいは、ニンゲンの叩くドラムスよりも正確にループするコンピューターサンプリングでドラム奏者が必要で無くなる場合もあります。何という皮肉でしょう。)

 

 

 

倍音を吸われても聞こえる音とは、歪んだ音です。アンプで言うとディストーションのかかった音なのです。コントラバス本来の最低音からの素直な倍音では聞こえないのです。かつて演劇のライブ音楽で特注のスピーカーを使ったことがあります。素直に伸びる倍音だけだとどんなに音量を上げても『うるさく』ないのです。うるさいのは、歪んでいるからなのです。もちろん歪みというノイズは愛すべきものでありますが、電気的に作り出すと画一的で「うるさい」のです。

 

 

 

ですから、ですから、ですから、ですから私たちコントラバス奏者はソロやデュオやコントラバス合奏を好むのです。そこのところをどうかどうかひとつよろしく。単に集まりたがっているだけでは決してありません。私たちの倍音や雑音を「無音」の中でたまには聴きたいのです。無音の中でコントラバスから出るすべての音を確かめたいのです。それが本当の私たちです。その音を聴きながら次の音を選びたいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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