早川純スペシャルキンテート終了

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1:かつて何千時間はタンゴ音源を聴き続けてきた貯金。

2:1986年にブエノスへ行ってプグリエーセ楽団と演奏したこと(それは「共演」というのは憚られます。日本の楽団のコントラバスが直前に逃亡したとかで、エキストラで参加したに過ぎませんが、大変な経験でした。ミイラ取りがミイラになった?)

3:現状の私の楽器の調整・指向がタンゴ黄金時代のコントラバホに酷似していること。

4:伝えられることがあれば若い世代に伝えたい。

5:タンゴ奏者のイメージである「不良中年・不良老年」に自分自身がなっちゃった。

 

直接的には早川さんが「徹の部屋」に出演してくれたお礼だったのですが、敢えて言えばこんな理由もありこのステージに立っていました。いろいろなジャンルの音楽を綱渡りしながら、自分にしかできない音楽は何かを探し続けている自分としては、いろいろ理由付けが必要なわけです。(こんな面倒くさいオヤヂに良く声をかけてくれたね。早川さん。偉い。)

 

タンゴを生きていなければ、ジャズを生きていなければ、インプロを、ブラジルを生きていなければ、やってはいけないという音楽の閻魔さまがいるとどこかで思っています。嘘をつけば、きっと報いがくる、身体を、心を壊すというカタチで。「音」という漢字の語源(白川静)を信じています。

 

しかし、なんだかんだ言ってもいざ現場になると理由3がムクムクとでてきてひたすら演奏に奉仕している自分を発見します。「何かアドバイスを」と言われてもなかなか言えるものではありません。「一拍が短いんじゃない?」とか「呼吸が浅いんじゃない?」とか言おうと思っても言う前に自分に跳ね返ってくるばかりです。そういうことでは無いのです。走るなら走った方が良い。

 

タンゴには、私の考えるコントラバスの一つの究極があります。特にリハーサルでPA無しでやるとそれが実感されます。ざらついた低音雑音のなかでダイナミックスをコントロールし、タンゴ独特の「何か」を引き出す。

 

さらに言えば、リズムのなぞりを途中で止め、伴奏を放棄、共演者を途方に暮れさせることも、少し見えます。亡くなったガンディーニ(p)はそこまで見据えていた気がします。

 

とまれ、若い奏者たちがまぶしかったし、モーションブルーのスタッフも信じられないほど良い感じでした。帰宅後、気持ちよく日本酒を呑んで知らないうちに寝ていました。チキショー、若いなんてうらやましくないぞー、うらやましいぞー、なんて寝言を言っていたハズ。

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