表具の老舗「マスミ」http://www.masumi-j.com のスペースMUROで行われた「パモル」佐草夏美さんとのデュオ終了しました。MURO は室。漆塗りを乾燥させた空間だったそうです。35℃超の炎天下から一筋路地に入り、靴を脱ぎ2階にあがるとそこは全くの異空間です。和蝋燭2本とごくわずかな照明のみ、1時間のゆったりした時間でした。ほとんど真っ暗です。夏美さんのご主人は「それぞれのお客様がそれぞれのタイミングでふと居眠りをしていたようです。しかし、終わった時の拍手は、きれいに気持ちが一つに揃っていて興味深かった」ということでした。さもありなん。
マスミ社長は文化に対する関心が深く、さまざまな活動をされています。その中の一つがこのスペースMURO。昨年末釜山に呼んでくれた辛恩珠さん(ダンサー)もつい最近、彼の企画で舞ったそうです。どこかで繋がるものです。
佐草夏美さんは数年前の小山利枝子さん個展会場で会い、その後、多くのライブにご来場してくださっていました。私が書き散らしているブログも丁寧に読まれていて、私が忘れていることもご存知。東京芸大の箏科を卒業しています(が)ジャワガムランの踊りに自分を見いだし、人生を賭けて舞っています。大変丁寧な出演依頼があり、何回かミーティング、資料やりとり、リハーサルをして今回に至りました。こういう丁寧なもの作りは良いものです。かならずどこかに繋がります。惜しむらくは。私の準備不足が否めませんでした。もう少しは中部ジャワガムランを身体に入れて置くはずだったという言い訳です。
強い意志で独自の活動を続けている夏美さんは、一人で、無音でも1時間踊ります。しかも中部ジャワガムランダンスの基本に則っています。しかもジャワガムランを再現するのが目的では無いとおっしゃいます。当日もジャワの衣装の上に日本の着物をお召しでした。そういう現場で音を出すと言うことはこちらもかなりの覚悟が必要です。
ダンサーとの共演でよくあるような、興に乗って丁々発止で場を作っていくという方法は採れません。丁々発止も身体の内部でジワッと行うのです。わたしもやっとこういう演奏が出来るようになったのかもしれません、なんて思いました。
それでも私の中には「音楽」を盛り上げようとする気持ちが自然にやって来てしまいます。これがキケンなのです。そもそもその「音楽」とは、いままでの私の経験の中にあるものに過ぎません。「良い音楽」をしようとしてしまう。その時の「良い」とは、いままでの自分の(貧しい)経験からのものにしか過ぎません。真の「伝統」はそんなもの一息で吹き飛ばします。
ほっておくと、盛り上げようとしてしまう自分に気を付け、フッと盛り上げを停める、そういう瞬間をいくつもつくりました。レ・クアン・ニンだったらきっとケージの「竜安寺」のように単純を極めたくり返しをするだろうな~、などと思いつつ、現在の私はそこまで行くことは出来ないので、いろいろなことを試しました。音楽は終わった後の静寂のためであり、音楽を「盛り上げる」のは、終わった後、昂ぶった気持ちを収めるときの過程のため、なんて思ったり。そこに「否定」はありません、「肯定」のみです。アジアの知恵、なんてことも思いました。
リハーサルの時にふとでてきたのが「オンバク・ヒタム桜台」でした。夏美さんからもオンバクをやってみたら、という示唆があったのですが、ゆったりゆったり流れる時間、いたずらに盛り上げることを避ける時間の流れの中で私の中にわき起こったのがまさに「オンバク・ヒタム桜台」でした。この曲は高田和子さんに捧げたもので、祥月命日がもうすぐです。あれも暑い夏でした。もともとは箏の西陽子さんの委嘱で彼女のリサイタルで初演されました。ベースアンサンブル弦311でもさかんにやりましたが、ソロで弾くのは初めてでした。そっと追悼の気持ちが音に乗っていきました。
粋ないでたちと飲み方をする店主の店で打ち上げであれやこれやの話。ご主人(さそうあきらさん)の漫画を読んでみようと思い帰途につきました。帰国後の気がかりだった三つの仕事が無事終了。悲鳴をあげている心身をいたわるべく殊勝にも禁酒生活を続けています。
(本番はほとんど真っ暗ですので、この写真は前日の「いずるば」でのリハーサルの模様です。)