我がエアジンでの2デイズ

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明日からエアジン2デイズです。

 

もう30年以上御世話になっています。お兄さんを事故で亡くしケルンから帰国、エアジンを引き継ぐことになった梅本さんが日本の状況を知ろうとあちこち歩き回っている時にお目にかかりました。私は当時、幡ヶ谷に住んでいて隣町の初台にある「騒」(ガヤ)が活動の中心でした。「騒」の活動はユニークで何もできない私を引き立ててくれていました。ホルスト・ウエーバーさんもここの方針を絶賛していましたね。梅本さんもエミさんと意気投合し、4ビート中心のジャズライブハウスだったエアジンにインプロ系のミュージシャンを送り込みました。当時の「騒」は阿部薫が亡くなったばかり、一世を風靡した生活向上委員会のメンバーが八王子「アローン」なきあとの場所として活用を初め、ニュージャズシンジケート系の人達、現在意識不明の板倉克行さん、バリトンサックスの宇梶さんなどが出演していました。私は、板倉さん、梅津さんや原田さんと演奏したり、現代音楽コントラバスの溝入敬三さんとデュオをやったりでした。(騒の話は長くなります・・・)

 

梅本さんに励まされてエアジンに出るようになりました。まだ右も左もわからないときです。高柳昌行さんとのデュオをやっていたときで、デュオも何回もやりましたね。クラシックやらない?ということで、公共ホールでストラビンスキーの「兵士の物語」、ピーターと狼、動物の謝肉祭などを一流プレーヤーと演奏しました。「兵士」では指揮者の棒を見ているとかえってわからなくなるので見ている振りをして実は覚えちゃったりして・・・。

 

地元のタンゴオルケスタと演奏したこともありました。エアジンでのタンゴの事始めだったりするかもしれません。栗林秀明(17絃)佐藤道弘(津軽三味線)広木光一(ギター)と弦楽四重奏曲と称しての演奏もエアジン邦楽事始めかもしれません。沢井一恵さんや箏アンサンブルパラムもやりました。パラム+キムデファンで元町のプールで演奏もしました。山下さんのいましたね。バール、ジャン、ミッシェル、ニン、サンイホ、ブロッツマン、リンドバーグ、ザイクーニン、ジャッキージョブ、ブロンディ、キムデファン、外国人ともいろいろやりました。台風通過中もありました。

 

そうそう、結婚式で梅本さんの「結婚行進曲」を吹いてもらいました。ピアノが板倉さん、タイコが菊池さん、金屏風の代わりに大成さんの絵画をバックに。入院中の病院から抜け出して演奏したことが2回もありました。1回目は鈴木いずみさんとしこたま呑んだあと極度の口内炎(たぶん急性アルコール中毒ではなかったかと)演奏は天野主税・森順二さんとのトリオ。2回目は突発性難聴でステロイド点滴をしているときでした。演奏はソロ+矢萩竜太郎さんダンス・宗像駿の岸田理生の本を使った音楽劇。その時は今井さんに車を回してもらいました。感謝しています。思えば今井さんとのデュオもここから始まったのでした。

 

横濱ジャズプロムナードでも毎回演奏しました。その時一番自信のある物を持って行かねば、と言う気持ちでした。その中で神奈川フィルハーモニー管弦楽団との演奏も3回。1回目は一晩をもらって「ストーンアウト」(with沢井一恵)「タンゴエクリプス」(with小松亮太)アンコールに「invitation」(ベースセクションに入って演奏しました。)作曲・編曲がともかく大変で徳永洋明さんに御世話になりました。この時、大学を出て20年目、西洋音楽の象徴のようなオーケストラとの共演で、「私は西洋音楽とは心中できないな」と直感。同時期に大学に呼び戻されたりして、ヨーロッパでの活動が増えたり、そして突発性難聴。演奏継続の危機でもありました。その中でどうしてもエアジンには行きたいと思って抜け出したのでした。

 

喜怒哀楽の多くの季節を共にしたエアジンです。一生やります。

30日:喜多直毅セッション・ジェロームフーケ・徹

1日:ベースアンサンブル弦311の日本最終演奏!!!あと一回はアメリカ合州国ニューヨーク州ロチェスターでの国際ベーシスト協会コンベンションです。世界中から1000人を越えるベーシスト、ベース制作者・ベースショップ、ベース教育者達が集まります。スタジオプランプランの小川洋さんが録音もします。その特別な場を分かち合いましょう!!!

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