ミヨトーカイノソラアケテ@シンガポール

我が幼少のみぎり、自宅の長廊下の片方の端はカナリアのケージ、片方は蓄音機(志ん生流に言えばチコンキ)スペース。手回しチコンキを回し、童謡のSPの他、大政翼賛会制作のSPレコードを聴くのが楽しみでした。「兵隊さんのおかげです」の針飛びのするところまで、いまだに覚えています。その中の一つ「愛国行進曲」。

ミヨ トウカイノ ソラアケテ
キョクジツ タカク カガヤケバ
テンチノセイキ ハツラツト
キボウハオドル オオヤシマ
オオ セイロウ ノ アサグモニ
ソビユル フジ ノ スガタコソ
キンオウムケツ ユルギナキ
ワガニッポンノ ホコリナレ

これを、オンバク・ヒタム公演@シンガポールの楽屋でアトックの歌でまた聴いてしまいました。3世代下の若きマレー人ミュージシャンのうち1人も知っていました。菊の紋章のパスポートを持っているだけで何とも形容しがたい気持ちになる瞬間です。ザイとドンドン島という地図にのっていない海賊の島に行ったときも、ボスが「ミヨトウカイノ」と「うみゆかば」を歌いました。遠く海を指さし「あそこに私の友達が死んで浮かんだ、あそこにも」とついさっきの出来事のように言いながら。
ちょっと調べたら、内閣情報局が公募、条件は「美しき明るく勇ましき行進曲風のもの。内容は日本の真の姿を讃え帝国永遠の生命と理想とを象徴し国民精神作興に資するに足るもの」だそうで、北原白秋と佐佐木信綱が補作をめぐり口論とあります。審査に島崎藤村の名前も見えます。10000以上の応募があったそう。ともかくこの歌が兵隊を通じて広くアジアに広まった事実があります。

さらに興味深かったのは第2位が「もしも月給が上がったら」(詞は山野三郎、後のサトウハチロー)だったとのこと。
「もしも月給が上がったら わたしはパラソル買いたいわ 僕は帽子と洋服だ 上がるといいわね
上がるとも いつ頃上がるの いつ頃よ そいつがわかれば苦労はない」以下、月給が上がったら、2番「故郷(くに)から母さん呼びたいわ おやじも呼んでやりたいね」3番「ポータブルなども買いましょう 二人でタンゴも踊れるね」4番「お風呂場なんかもたてたいわ そしたら流してくれるかい」

「愛国行進曲」のための当て馬だったのでしょう。

ハリマオがテレビ番組で、欧米帝国主義からアジアを解放させる役割をあとから強調されました。竹内好さん「近代の超克」の考えもあります。ちかくは鳩山首相の「東アジア共同体」演説もあります。大野一雄さんが踊り続けた動機の大きな部分にニューギニアでの極限的な戦争体験があったであろうと聞きますし、小澤「征爾」さんの名前は石原完爾と板垣征四郎から取ったとも。いまでも大きなテーマなのです。

我がオンバクヒタムの歌の流れがどう関わっていくか。

 

 

 

 

 

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