オンバクヒタム(黒潮)公演in Singapore

前回貼ったチラシをよく見るとおわかりのようにシンガポールでのコンサートの題名は「黒潮」(オンバク・ヒタム)です。これは私のライフワークの一つで、長年培ってきたもの。最近では田中泯さんと螺鈿隊・ベースアンサンブル羊で公演をしたり、高田和子さんへの追悼曲の題名にしたりしています。遡れば、ザイとのつき合いがここへ導いたのでしょう。

 

最初の出会いはシンガポールのサブステーションというところでの私の会でした。条件が整っていたので、私はフランスからミッシェル・ドネダ、アラン・ジュールを呼び、韓国から、チョン・チュルギ、キム・ジョンヒを呼び、日本から沢井一恵、山崎広太を呼びました。せっかくだから、と当地のパフォーマーにも入ってもらおうということで紹介されました。今思うと贅沢な企画でしたね。

 

サブステーションは、資本の多い少ないであらゆるものが評価されるシンガポールにあって、サブカルチャーを守っているような所です。その時もインド系の知識人がボスでした。彼も今回の公演に関わっています。

 

サブステーション内ギネスシアターの階下にある楽屋に「住んで」いたのがザイでした。この公演には多くの出来事・ヒントがあり、確実に現在の私を形成している要素を大量に含んでいました。内容は省略するとして、沢井一恵さんと「動物の目をしたあの若者は何?」と注目したのが彼でした。聞けばマレーシャーマンの家系のアーティストということ。父親から「あのでかい楽器の人と時間を使いなさい」といういかにもシャーマンのような言葉とともに彼とのつき合いが始まりました。

 

その頃西日本で頻繁にソロツアーをしていた私の車に同乗していろいろ旅をしました。その中の一つが「ペイガン・ヒム」というCDにまとめられています。ここに参加しているのはミッシェル・ドネダ、チョン・チュルギ達なので、あのシンガポールコンサートの発展型と言えます。あの時よりもヨーロッパ即興音楽と韓国伝統音楽とのシームレスな繋がりができました。

 

福岡アジア美術館が開館したときに記念コンサートを頼まれました。当然、ザイに来てもらいました。その時は彼がやっていたカンパニーメンバーも同行、当然のようにチョン・チュルギがいて、栗林秀明を中心とした箏アンサンブル、そして舞踏の工藤丈輝が参加。大根を100本近く立てた舞台でのダンスや、鶏や野菜を使った儀式的なパフォーマンスでした。

 

岡本太郎美術館では、土方巽展の中で共演しました。アスベスト館の床をそのまま持ってきた舞台で、ザイの映像と小林裕児のライブペインティング、井野信義のベースが加わりました。(↓ 写真:南谷洋策、衣装:黒田敬子 プロデュース:楠本亜紀)

    

土方巽夫人の元藤燁子さんや、劇作家の岸田理生さんを紹介するとお二人ともザイを大変気に入っていました。理生さんはザイを想定した芝居も書きましたし、元藤さんは土方フィルムをもってシンガポール公演もしていました。そう、美術の世界では彼は「著名」です。世界各国の美術館や画廊で呼ばれていました。その多くを断っていたようです。

 

ジャバラレーベルの森田純一さんとの友情も特筆すべきでしょう。韓国・沖縄・奄美・バリの音楽事情にも詳しい森田さんとザイは即打ち解けました。森田さんの講演をサブステーションでやったりも。

 

日本のライブシーンでも活躍していた時期がありました。自由を尊ぶはずの即興シーン関係者・聴衆にも「不思議大好き」、「権威大好き」な人が多く彼がシャーマンの家系と聞くと「空中浮遊」するんじゃないか、と集まってきたり、美術界で著名なことで「スゴイ」と集まってきたりしていたようです。いつでもそんなもんです。私はインドネシアの海賊の島に連れて行ってもらったことは忘れられません。

 

まあ、そんなこんなあんなどんなを経て、昨年8月の風の器公演「牡丹と馬」を突然、観に来てからなにやら関係が再開し、今回の公演に繋がったのです。

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