君子、時に豹変す・・・弦311+ジャン・サスポータス@「いずるば」終了。
しかし、どうなっちゃったのでしょう。ジャンさん。私はかれこれ10年近く共演していますし、ピナの舞台でのジャンもよく観ていますが、札幌・旭川あたりで大きな大きな変化が起きているように思います。
書かれた曲での即興ダンスが2日続きました。普段なら、書かれた曲の場合はキチンと振付をしたいであろうジャンさんですが、この2日とも、自分を信じ、私達を信じ、待って、自らを投げ出して踊っています。
作曲作品=振付の関係は、基本的には賛成ですし、そうあるのが普通でしょう。曲が決まっているのに即興で踊る、あるいは、振付が決まっているのに即興で音をつけるというのは、私の信条として避けてきました。あまり良い想い出が無いからです。(土方巽さんの映像に音をつけたときはひっくり返るほど入り込んだ経験はありますが・・・)
基本的にその方針は変えるつもりはありません。しかし、その方針の弱点は、書いたことを越えることが難しくなること、振付を越えることが難しくなることです。自分を越えることが難しくなることなのです。
そういう微妙な関係の綱渡りをこの2日間のジャンは見事に成し遂げました。あきらかに自身を越え、場をあおり、祝祭空間へと変容させました。ダンスや音楽の大事な役割です。
ベネズエラ風の5拍子のメレンゲ(浸水の森ーダンス)では、ラテンフレーバーのステップを避けることもせず、タンゴ・エクリプス第三章の5拍子の急速のタンゴでは、急に笑い出し、ちょっと古楽的な浸水の森ー夜では、ブラジル/コルコバードの贖罪キリスト像のように皆を許してくれ、飛び入り竜太郎クンをさらに引き立てていました。どれも計算して出来ることでは無いでしょう。
メンバーは多くのことを学び、聴衆とさまざまな発見を楽しんだことと思います。
さすがに今朝は「身体のあちこちが痛いよ、若いときでもこんなに踊っていませんから」と言っています。身を投げ出すことの尊さは、人生の授業料が足りている人にのみ許された行いなのでしょうか。
今回の来日公演はあと3回です。どうぞお見逃し無きよう。
24日東中野 ポレポレ坐 with 庄﨑隆志・南雲麻衣・徹
27日六本木 スーパーデラックス with 喜多直毅・小林裕児・徹
28日明大前 キッドアイラックアートホール with さとうじゅんこ・喜多直毅・徹