茶会記 オールピアソラ終了

茶会記 オールピアソラ終了

 

ジャンのダンスと3本のコントラバホの会、無事終了しました。

靴を脱いでスリッパで入るので、所謂、都会の隠れ家。

 

スタッフの芦刈純さんのおかげさまもありちょうど良い感じの集まり具合の部屋、といってもジャンさんにとってはせまいでしょう。しかしバーバー富士でやった実績?もあるのでよろしく、とお願いするのみです。お客様のいない椅子だらけの部屋に入るとさすがにカフェミュラー35年300回、椅子の上で踊ったりしています。

 

ピアソラだけのプログラムでコントラバスだけというのもかなり特殊です。勿論、ピアソラキンテートの編成で臨むのが音楽に一番フィットします。でも、そうしないのが私です。コントラバスではあり得ない演奏をすることで領域を広げます。しかし、同時に多くの発見があるわけです。それこそがメインの目的とも言えます。

 

デカリシモからロケベンドラへはいるあたりでジャンさんが黒のシルクハットをかぶり、ゆっくりゆっくり歩き始めます。あくまでもゆっくりゆっくりゆっくりゆっくり。コントラバヘアンドでも踊り続け、ルンファルドでも続きました。(どの曲で踊るかも、お任せしていました。)チキリン・デ・バチンでは、田辺和弘さんとジャンさんのデュオという形でお願いしました。なかなかの好演。第一部最後のラ・ムーファで、日頃、譜面を大事にしない私にバチが当たりました。4枚綴りの譜面の4枚目が無くなっていました。一番煩雑なリズムとメロディのところ、演奏しながら探しましたが出てきません。なんくるないさーで逃げ切りました。私は前世に譜面と何かあったのでしょう。以前もこういうことが何回もありました。そのせいで即興を始めたのではないでしょうが、とても相性が悪いのです。

 

第2部では、ブエノスアイレスの秋、ラ・カージェ92、ビジュージャ、コラール、エスクアロと続きます。一瞬も息が抜けません。「これは難物だ」とジャンさんが言っていたコラールでは、私の傍らへ立ったままのダンスでした。最後に無言の叫びがつづき終わりました。ジャンさんは、帰国後すぐにタンホイザーの振付とのこと、私にはコラールとタンホイザーがジャンの中で繋がったのかと思いました。

 

アンコールに「ブレヒトとブレルのあいだで」。糸を切られた操り人形は裸にされたアルゼンチンの反逆者のよう、という詩を事前に伝えておいたので、ジャンさんの踊りは空へ空へ飛んでいくのか、糸を切られる人形か、という微妙な仕草で終わりました。この多義性が彼の踊りの魅力でもあります。

 

さて明日はさらにコントラバスが2台加わります。

 

 

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