Space Who 2日目 with ベースアンサンブル弦311
バースデイライブなどというものは、恥ずかしくてとても自分で企画できるものではありゃしません。今日は特別です。なんせ、バールお父さんのバースデイでもあるからです。(なぜかバールをお父さんと呼ぶことが定着してきました。)昨日も触れた大野一雄さんも同じ誕生日でした。かつて3人のライブをやろうと思ったのですが、かないませんでした。ベーシストでいうとちょうど私とバールの間にノルウェイのアリルド・アンデルセンさんが同じです。蠍座のミュージシャンの知り合いは大変多く、ベース奏者に限っても多いようです。なにかあるのでしょうか?
以前、バールは来日していても誕生日は自宅で過ごしたいと帰国したことがありました。今回は違いました。是非、一緒に祝おう!と言ってくれました。よし、それならばベースにまつわるものがいい、それならば弦311が良い、悠治さんは、金曜・日曜と1日あいてしまって行ったり来たりになって申し訳ないけれど、この際ワガママを言わせて頂きました。
世界中の名うてのインプロバイザーが演奏してきているSpace Whoで弦311という若いアンサンブルをやることに多少の不安はありましたが、Space Whoの快諾もあり、実現した次第です。若い世代に伝えることは大事です。ありがとうございました。前後の伝説トリオの3人の年齢を合わせると220を越えます。私達(私がひとりで引き上げていますが)5人合わせても190にもならず。フーっ。怖。
昨年kadimaからDVDを出さないか、という申し出に答えるべく作ったのがこのベースアンサンブル弦311です。私のコントラバスに関するさまざまな考えを組み込んで私の曲を演奏するものでした。インプロヴィゼーションは「かひやぐら」以外はありません。かひやぐら、にしても奏法を指定しています。インプロを主題にしていないのです。
インプロ慣れしていないことを逆に利用することにしよう、と半年考えました。さまざま思いを巡らせました。結局、最も大事なのは、私が、彼らを「信じ」「聴き」「待つ」ことができるかどうか、だと悟りました。そのための用意さえすれば良い、いまさら、インプロのレッスンでもあるまい。禅問答のような、謎かけのような言葉をメールで送りました。
一番気をつけたのは、音楽的なことでは無く、身体のことでした。すなわち、眼を開けていること、口元が微笑んでいること、深く呼吸ができる状態を保つこと。そう吉田一穂の「半眼微笑」です。自分に耽溺しないように、目も耳も身体もココロも開いていること。一朝一夕に出来ることでは無いでしょうが、それだけは伝えたかったし、バールはそれに対応してくれるはず。そしてそれはインプロに限らずあらゆる音楽にも通じ、さらに人生全般に通じるはず。
ともかく始まりました。私達が2回のライブでやってきた音響を作っていくと、バールはその中に入り込み一緒に音響をつくります。我が意を得たり。5人の音響の上に「ソロ」を取ることはとてもやりがいもあり、目立つことであり、大変面白いことです。しかしバールはそれをしません。これも私がメンバーに言った『「自分」を表現しようとしないで、パートの一部分になることが大事』ということに他なりません。さすがにわかっていらっしゃる。もう大丈夫。私も充分待てる気がしてきました。
バールのユーモアも各所で炸裂しました。やおら弓を銃に見立て行進しだし指揮をします。「止め」の合図に乗り遅れたメンバーに「LATE(遅い)」と叫び第1部終了。我らの「コマンダンテ(指揮官)」バール!
第2部ではちょっとしたハプニングがありました。全員合奏の後、トリオを2つ、そして全員で終わる、とだけ楽屋で決めました。トリオとは、バール・瀬尾・パールのトリオと 徹・真佐雄・和弘のトリオだと私は解釈していました。旅疲れもピークに来ているはずのバールに少しでも休む時間を作ろうというみんなのコンセンサスだと思っていました。バール・瀬尾・パールのトリオが終わり、私達三人が出て行くと、引っ込むと思っていたバールが残っています。「あ~そうか」と私が引っ込みました。これもバールの「伝え」だったのです。ちゃんと受け止めた?
終演後、ダリアの花束がマイキから2人に、そしてSpace Whoが大きなバースデイケーキを2つ用意してくれました。お約束のロウソク、そして切り分け、聴衆全員と味わいました。私は、一生分の誕生祝いをしてもらった感じでした。
今日も広島から、京都から、旭川から(羽田からタクシー!)、ポレポレからなどなど、多くの人達と時間と音と気持ちをシェアできて本当に幸せでした。バールとお揃いのステテコも頂いちゃったりして・・・
ありがとうございました。
あと1日!