低音は世界を救う!「いずるば」セッション

24日の専用チラシできました。予約が伸びずに心配して急遽つくりました。どうぞよろしくお願い申し上げます!!

裏の文章はブログに書いたものに加筆・訂正しました。

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「いずるば」は空間が汚れていないので大変すばらしい空間です。空間は持ち主そのものであって、その空間に来る人は持ち主に似ている、というのが私の経験上ほとんど当たっています。

 

10月24日にはここでバール・フィリップス+齋藤徹+高岡大祐+天田透という注目すべきセッションがあります。8月末に初演した徹・大祐・透のTrio Gamutはめざましいデビューでした。コントラバス・チューバ・コントラバスフルート、バスフルートなど低音楽器ばかりのアンサンブルで、即興的に音楽を紡いでいくわけです。倍音がそれぞれまったく違う低音楽器のアンサンブルは魅力にあふれています。

 

ランボーのようにピュアで危ない高岡大祐のチューバ、吟遊詩人のように飄々と旅を続ける天田透のコントラバスフルート・バスフルート・アルトフルート、そしてトラヴェシア齋藤徹のコントラバスです。

 

楽器が大きく、長くなるのは低い音を出すためですが、それに優るとも劣らぬ要因は倍音を豊かにするためです。そして倍音が豊かになると雑音成分も豊かになります。低音を聴く・聞く・効く・利く・訊くには、立ち止まらなければなりません。おしゃべりを止めなければなりません。考えを止めなければなりません。呼ぶ声に応える体勢を用意しなければなりません。耳だけではなく全身を用意しなければなりません。全方位にアンテナを張り巡らす必要があります。耳をそばだてなければなりません。待たなければなりません。

 

「ながら」ではできない、簡単にできない、空間が静かで無いといけないという「効率」の悪いものです。しかし、今の世の中、簡単で無くていいんじゃない?親切で無くていいんじゃない?「あたりまえ」でなくて良いのでないか、今どきの「あたりまえ」などあやしいのではないかと思うのであります。

 

世の中で主役を張る楽器たちは、無意識のうちに低音や伴奏を「要求」します。なんでもいいから、私のソロを引き立たせてくれ~!という感じ。(もちろんそうで無い奏者もいますよ、念のため。)そしてそれに応じると音楽は安定して聴きやすくなります。それが人間の知恵だったのしょうし、歴史なのでしょう。否定はしません。それはそれで、お任せします。

 

音楽を「快」と「不快」で判断するのも良いでしょうが、なぜ「快」「不快」に感じるのかをもう一回考えてみることは必要です。快に感じるようにあらゆる情報・技術を使って仕組まれたポピュラー音楽の巨大産業を思えばわかります。多くのアスリートが試合の前にヘッドフォーンで音楽を聴いています。あれは試合のことをアーダコーダ「考えないように」するためのもの。音楽は人を考えないようにするチカラがあるのを利用しているのです。パスカル・キニャールは音楽を愛するがゆえに「音楽の憎しみ」で親ナチにも使う事ができる音楽を糾弾しました。

 

低音楽器は高音も出すことができます。それはもういくらでもでます。私たちは謂わば、スター楽器の後ろ姿を見ながら過ごしてきました。その分、世の中の仕組みがよく見えます。むやみに「叫び」ません。「泣き」ません。ただ「歌い」ます。ちょっとおかしい歌い方かも知れませんが・・・

 

そんな低音楽器が3種類揃ったわけです。それぞれ弦楽器・金管楽器・木管楽器の「王様」なのです。多くの音楽経験を経て、多くの音楽情報を身につけ、楽器ゆえにいい目にもひどい目にもあってきて、ここに至っています。

 

それを50年やり続けているバール・フィリップスさんとセッションするのです。これはすばらしいことです。低音は世界を救う。ホント。齋藤徹

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