気がついてみると、ピアソラさんの誕生日が3月11日。今度のポレポレでのベーストリオは「ベースアンサンブル弦311」の別働隊でもある(AKBのようだとパールが言って、受けていましたが、何のことやら。)ので、そのままの名前でも良かったのですが、あまりのことなので止めています。(ちなみに、911はザイ・クーニンの誕生日、8月に来日します。)
昨日からリハが始まっています。二人と三人は大いに違います。その違いを大いに活かそうと新たな曲のアレンジもしました。「ルンファルド」「コラール」「ラ・ムーファ」「ビジュージャ」の四曲です。とても複雑な構成です。22年前、15年前のCD録音の時に演奏した曲ですが、まったく違う印象になるでしょう。しかしわたしも「ひつこく」(しつこく)やっていますね。
「構成」=compositionです。英語圏の文化では、作曲とは構成のこと、ひるがえって日本では「曲がったもの」を「作る」ことが作曲。「曲がったもの」とはメロディのことでしょう。日本ではメロディが重視されていた証しでしょう。リズムよりもハーモニーよりもメロディ。なるほどね、という感じ。
コントラバスで演奏不可能のように思えることもドンドン取り入れています。ベースアンサンブルの経験上、これはムリでしょ、という音楽を何とか演奏できるようになることもあり、しかもその時の発見が将来に繋がる率が高いのです。はじめからコントラバスを想定して書いた曲やアレンジがあまりにも「想定内」でつまらないという多くの経験もあります。
リハの後、コロン劇場でのピアソラのテレビ映像を観ました。私の大のお気に入りです。なんといってもピアソラ9重奏団が「バルダリード」の演奏中、気の入りすぎたスアレス・パスがソロが始まるや、弦を外してしまいます。(なにしろ初のコロン劇場・世界三大歌劇場、しかも最高のタンゴバイオリンと呼ばれるエルビノ・バルダロに捧げた曲、ピアソラはバルダロの演奏に触れてタンゴを目指したとさえ言われています。)。ピアソラは気づいていない様子。しかし、パスが弦を元に戻している間、第2バイオリンのウーゴ・バラリス(この人も巨匠ですね)が何事も無かったかのようにパスが弾くはずのソロを弾くのです。たいへん複雑なソロ。もちろん暗譜です。とても感動的です。こういう人達が支えている文化は強い。
ピアソラの楽団員はかつて巨匠達揃いでした。エリントンも同じです。もちろんそれぞれの時代の最高の奏者なのですが、現代に近づくにつれメンバーが少しく巨匠的ではないのは否定できないでしょう。時代そのものが小粒になっているのですね。金石出たちムソクもそうでした。もちろん私も。さしずめ粉末のようなものです。
しかし、演奏するのです。
↑写真はベーストリオと指揮をする?ジャン・サスポータス、ジャンは8月来日セッションハウスのワークショップをしますが、終了後20,21,22日と「いずるば」でジャンさん体操+気の道入門ワークショップをやる予定です。(私は入れ替わりドイツでジャッキー・ジョブ、工藤丈輝と演奏予定。)