うたとおどり

演者も聴衆も、おおげさでなく命がけで集まっている人が多いので、当然、何かが起こります。デジタルやネットでは無く実際に人と人が会うことで思わぬ反応が起きるのです。
今年相次いで亡くなったアンゲロプロスさんとグエッラさんへのお礼の意味も込めて映画の台詞に曲を付けたものを演奏。不調の中、大阪よりご来場の乾千恵さんとの共作4つ。このうち3作は千恵さんの大事なご友人の死をきっかけに作られました。
パスカル・キニャールの「めぐり逢う朝」で、師サン・コロンブがマラン・マレに最後に伝えたこと。「音楽は、神のものでも、愛のためでも、沈黙のためでもなく、死者への贈り物であり、言葉無き者たちへのささやかな慰めであり、世に出ることの無かった胎児達に捧げるものだ。」
ジャンさん体操に参加、肩・腕の使い方にヒントを得たのでしょうか、じゅんこさんのうたが大きく大きく飛躍、身体を大きく使った歌唱でのびのびと歌いました。不調の中の直毅さんも音を探し断片を拾い上げ懸命に紡いでいきます。生きる生きる生きる生きる生きる。ジャンさんのダンスは生と死に裏打ちされています。ストリートチルドレン仲間の葬儀に語られる「ああセリム」では机を前に椅子に座っているだけでしたが、強烈なダンスでした。
隠れキリシタン達の願いと祈りが息づいているオラショ「ぐるりおざ」とその元歌と思われるスペイン中世のうたを続けて演奏。オラショで急に日本語のリズムになるとジャンさんも日本語の動きになっていきます。さすが。
最後にヴィオレータ・パラ「ありがとう命(グラシアス・ア・ラ・ヴィーダ)」ではじゅんこさんをダンスにいざなうジャンさん。じゅんこさんは聴衆の羨望(と嫉妬)を感じたでしょうね。うたがあってダンスがあってこその人生。アンコールで「つばめ」元気にまた顔を合わせ、うたいおどりましょうという切なる願いでした。
千恵さんも参加して居酒屋呑兵衛で終電まで打ち上げ。電車のドアが閉まるまでポレポレの前で手を振ってお見送りをして人生の合宿場へ帰りました。

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