ジャン・徹・大祐@エアジン

ダンサー、ミュージシャン率が異常に高い立ち見状態のエアジン。40周年を越える蓄積でしょう。私も30年以上演奏しています。1970年へ向かう時期にはこういう状況が全国的にいくつもあったのでしょう。極端な消費文化になってしまった今、大変貴重に思います。この盛況には、映画「ピナ」の影響もあったのでしょう。この「ブーム」を消費して忘れてしまわないで、きっかけとして使うしかありません。敵はともかく勢力があります。
ミラーニューロンの話で3人盛り上がりました。エアジンに入るやいなや、ジャンの立ち居振る舞いをみただけで身体が動いて仕方なかった、と言う大祐。終演後女性歌手が「今日は、3人ともダンサーのようでもあり、3人ともミュージシャンのようでもありましたね。」という嬉しい感想。こういう現場で演奏家が目をつむるのは、モッタイナイどころでなく罪なのです。
フェリーニの「道」で綱渡り芸人イル・マット(狂人の意味らしい)は、ザンパノをみるとどうしてもからかいたくなる、という設定がありました。私もダンスの丈輝とチューバの大祐はどうしてもからかいたくなってしまいます。本意ではありませぬがそうなってしまいます。昨日も何回もちょっかいを出してしまいました。さすが国際都市大阪人の大祐はそれを笑いに転化させます。
アスベスト館でのワークショップの講師を頼まれたときに、「舞踏はよくわかりません。特に露悪する感じは大変苦手です」と言いました。「土方は本当の意味のユーモアがありましたよ。露悪とはまったく違います」と元藤さんがおっしゃったので、興味を持って引き受けたことを思い出します。ユーモアの語源は「おへそ」とか。ユーモアは決して露悪、人を馬鹿にすることから発生するものではなく、命を愛おしむことから発生するのかもしれません。ジャンからはそういうユーモアを感じます。
終演後,多くの人達が帰らず、話に花を咲かせました。良い形で初日が終わりました。ありがとう。

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