5月ジャン・サスポータス来日公演情報まとめ

長く居たのでほとんどリアリティがありませんが、明日帰国のようです。フーッ。
5月のジャン・サスポータスさんとの共演をまとめます。

 

5月11日(金)横濱エアジン 国際インプロ祭(春)ジャン・サスポータス、高岡大祐(チューバ),徹
http://yokohama-airegin.com/
一昨年ジャンはトーキョーで、ダイスケとテツとの共演を聴き、トリオの機会を狙っていました。今年3月ダイスケの根拠地ブリュッセルでテツとジャンはデュオを行い、このトリオの横浜公演の告知をしました。世界が注目するトリオの初演奏です!

5月17日(木)沼部「いずるば」ベースアンサンブル弦311withジャン・サスポータス
http://www.izuruba.jp/index.html
昨年5月に行われたベース5台とジャンさんのダンス共演は、聴衆・演奏者・ダンサーともに強烈な記憶を残しました。時に楽団の指揮者となり、時にタンゴを踊り、時に背後で磔になり、時にベースの森をただよい、儀式を取り仕切りました。ちょうど1年後、再会セッションがたった一度だけ「いずるば」で行われます!!これは見逃せません!

 

5月19日(土)東中野ポレポレ坐 徹の部屋vol.20『うたをさがしてライブ@ポレポレ坐 CDリリース記念』
うたをさがしてトリオ(さとうじゅんこ・喜多直毅・徹)+ジャン・サスポータス
http://za.polepoletimes.jp/
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今、この題名をCD「発売」記念と書いて、なにかしら強烈な違和感を感じてしまいリリース記念に変更しました。「発売」には変わりないのですが、商売商売した感じが今回、私には似合わなく思えてしかたがありません。
始まりは東北での友人結婚式のための音楽でした。ジプシーにせよ、
マレーや韓国のシャーマンにせよ、マリアッチにせよ結婚式の音楽は
大事な仕事でしたし、知人の結婚を音楽で祝えるのは何より嬉しいことです。
引き出物で作ったCDが、大震災後,義援CDとして広まりました。
私も何回か東北を訪れました。「自主」避難してきた妊婦さん・
新生児の数家族の前で演奏する機会もありました。そんな時に
「たいへんだったでしょう?」とか「がんばってくださいね」とか言う言葉は、空虚であるばかりでなく、彼らと、そして自分自身との断絶を深めるばかりで、とうてい使えませんでした。言霊(ことだま)が許しませんでした。子供達と遊んでいて、「こんな時に、一緒に歌えるうたがあればな~」と思いました。うたの可能性です。
日本語のうたをつくりたい、と長年思ってきました。しかしなかなか実現せず、いつかきっと、と先延ばしを続けていました。しかし、今を逃したら自分が音楽に関わっている理由さえ無くなると思い、このうた企画を進めました。
本来なら、シンガーソングライターにならって自分で歌詞を書かねばなりません。しかしコトバが出てきません。振り返れば、小学校の宿題以来、詩を書いたことが無く、詩を書くという回路がありませんでした。そこで今、一番「詩」を感じるギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスの作品(トニーノ・グエッラ脚本)から台詞をお借りして曲を付けました。
なんと言うことでしょう、CDジャッケットのデザインができた日に
アンゲロプロス事故死のニュースが入ってきました。追悼のつもりなんかでは全くなかったのに、できることならご一緒に仕事をしたかったのに、おそらく世界で一番早い追悼作品になってしまっていました。
なんちゅうこっちゃ。
私は心の中で、さとうじゅんこさんのことを菩薩と呼び、喜多直毅さんを天才と呼んでいます。天才と菩薩というこの2人に恵まれたからには、このグループはどんどん続けなければバチが当たります。ともかく今回のレパートリーを演奏しきることで次が見えてくるものと思います。
親友・畏友・芸友ジャン・ローレン・サスポータスさんも駆けつけてくれます。実はここポレポレでこのトリオと共演をしています。
その時のことは今も語りぐさになっています。今回も熱い交流がうまれるものと確信しています。
お時間がございましたら、是非足をお運び下さいますようお願い申し上げます。
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5月21日(月)明大前キッドアイラックアートホール ジャン・サスポータス+喜多直毅+徹
http://www.kidailack.co.jp/
「羊の歌」第三章 ジャン・サスポータスと喜多直毅を迎えて
「羊の歌」シリーズの第三章は、ジャン・サスポータスさんと喜多直毅さんをお迎えすることができました。昨年、当ホールで始まった念願のシリーズは優れた音響とあいまって、毎回が楽しみであり挑戦です。もはや「親友」になったジャンさん、昨年から得難い共演者となった直毅さん。心配など一切ありません。ワクワクドキドキ心躍る宴になるに決まっています。トリオによる初演、是非、足をお運びください。   齋藤徹
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以上が昨年のチラシに書いた文です。ジャンさんはピナ・バウシュカンパニーの仕事で香港で来日フライトを待っていました。そこで3/11です。最後まで来日のために待機していましたが、フライト自体がキャンセル、日本も一寸先どうなるかわからず無念の帰国。一週間後のこの会も開催を躊躇しましたが、やる事に決めました。どうしても参加したかったジャンさんはSkypeで参加というアイディアを考えつきました。
まだまだ余震が続いていて、電車・自動車も不確定だったころですが、実施。お客様もスタッフもみな同士のような一体感、Skypeからのジャンさんも距離をものともせず、心を1つにして踊ってくれました。映画「トークトゥーハー」でペドロ・アルモドバル監督は出演したジャンさんに対し「世界で一番哀しい顔の男」と評しました。まさにその言葉を彷彿とさせるダンスでした。
1ヶ月後、来日を果たしたジャンさんと喜多直毅さんは、齋藤徹の浸水の森トリオ、うたをさがしてトリオのゲストとして共演。ロジャー・パルバースさんプロデュースの宮沢賢治を題材とした「Looking for KENJI」でも共演を果たしました。この演目は震災1周年の3月11日、ジャンさんの住むドイツブッパタールでジャン・徹・直毅を中心に地元のダンサーを加えての再演。
ドイツでの再演後、再び日本のキッドアイラックアートホールで3人が顔を合わせます。共演のならなかった昨年、そして、それ後の数々の共演が実り、昨年では思いもかけなかった公演になるでしょう。それは昨年のキッドでの公演が無ければありえない関係性です。是非足をお運び下さい。今年は「世界で一番楽しい顔」を見ることができる?(齋藤徹)
新:5月27日(日)稲毛キャンディ
http://blog.livedoor.jp/jazzspotcandy/
離日を前に徹とのデュオが急遽決定!デュオ上演後、ジャンさんのトークがあります。日本について、ダンスについて、ピナについて、音楽について、気の道についてなどなど気楽に大いに語っていただきます!!詳細未定。18:00開演を予定しています。
カサブランカ生まれ。マルセイユで数学・物理・哲学を学ぶ。
’75年パリでモダンダンスを始め、’79年ピナ・バウシュ舞踊団のソロ・ダンサーとなる。世界中の劇場で踊り続け、ピナの代表作「カフェ・ミュラー」は以来30年間300回を超える。ペドロ・アルモドバル監督「トークトゥーハー」(アカデミー脚本賞)の冒頭で使われ、
「世界で一番哀しい顔の男」と評される。現在は自らのダンスグループ「カフェ・アダダンスシアター」を結成、俳優、オペラ演出、
振付家、ワークショップなどで活躍している。合気道から派生した「気の道」をマスター。日本文化全般に造詣が深い。齋藤徹とはデュオでの日本ツアー、オリビエ・マヌーリ(バンドネオン)とのトリオでのピアソラツアー、韓国・コロンビア・フランス・ドイツ・ベルギーで共演を重ねている。

 

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