「徹と聴く・徹を聴く」報告

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果たしてお客様がいらっしゃるのか、と言う心配をよそに、全ての飲み物を出し終えたのは開演時間を20分オーバーしていました。candyには初顔の人も多かったとのこと。オーディオの実力をフルに発揮。こんな音まで入っていたということだらけでした。オーディオに人生をかける人がいるのも想像できます。エリントンの「アドリブ・オン・ニッポン」をかけ終わった時に、大拍手!!もはや、ライブと録音の差の感覚がなくなったのでしょうか。レコード録音、オーディオに関わってきた人の熱意が報われた瞬間でしょう。
エリントンやエリントン楽団のレイ・ナンスが「フリー」な演奏をしていたり、50~60年前のフリー(トリスターノ)にはやはり驚きます。「演奏」を進歩史観で見てはいけないのです。その人の志であり、夢・願いだという視点で見たいものです。
インプロや舞踏を目指す若者が、楽器や身体の修練を怠りがちになるのは要注意、ということもこれらから見えてきます。日常と修練が近いだけに、そして、メソッドやお手本がないために、楽器に触れたり、踊ったりすることが減ってしまうのは危険です。山海塾は海外に出てバイト禁止にしたそうです。
逆に言うと、クラシックや伝統音楽などお手本がしっかりしているものは、それを追っかけるだけで充実するために、楽器と自分との「健康」な関係が持続出来るのでしょう。ミッシェル・ドネダは毎日のように山や野原へ行って吹いていますし、姜泰煥は、毎日かならず指だけでもカチャカチャ何時間もやっています。音の基本(哲理)に常に立ち返れ、という海童道と同じでしょう。
そういう流れでレコード鑑賞は第二部は、海童道へ進みました。その倍音と呼吸の凄さは、やはりこの装置ゆえにより良くわかりました。海童道さんは朝3時から6時間、毎日修行していました。「雨の日などはつらいんですけどね・・・」とちょっとおどけた風に言ったりして、「すべて決心次第」と言うことを人に伝えていたのでしょう。「物干し竿を切って節を取っただけ」という竹は、偶然性や雑味あふれる倍音をだします。それをこの装置はごく自然に再生していました。初めて聴く人が多かったぶん、新鮮な感動で空間が包まれていました。
第三部に私の新作をかけようと思っていて、プログラムにも載せていたのですが、それはまたいずれ、ということで演奏を始めました。エリントンや海童道を実音に近い音で聴いていると、背中を押されるようで、とても自分のCDやDVDをかける気にはなりませんでした。ガット弦の倍音の話や、不規則チューニングの話や、プリペアードの話、打楽器化の話、横置きの動機などなど話を交えて1時間のソロでした。
金石出やアストル・ピアソラ、沢井一恵、ジョビンなどを取り上げて続けてやってみたいと思いました。もちろん自分のためでしょうね。

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