毎日が誰かの誕生日、そして誰かの命日

毎日が誰かの誕生日、そして誰かの命日
「うたをさがして」4ライブ、お陰さまで無事終了しました。
三つ目のエアジン、ここはもう30年以上演奏しています。内2回は入院中抜け出して演奏したという武勇伝つきです。今年は、5月にベースアンサンブル+ジャン・サスポータス、10月にはミッシェル・ドネダ、レ・クアン・ニン・徹・石田幹雄という忘れがたきライブがありました。
いつもの笑顔で梅本さんが迎えてくれます。もともとエアジンを立ち上げたお兄さんが亡くなったため,引き継ぐべくドイツから戻ってきて30年を越えます。順風満帆だったケルンでのクラシックトランペット奏者を辞めて横濱のライブハウスマスターになったのであります。物語ですね。
数は少なかったですがあたたかな聴衆に向かって演奏しました。圧倒的な音量や祝祭的なビートで盛り上げることもない地味なトリオですが、しっとりと伝わったようで、「年間ベスト10にはいるよ」なんて梅本さんに言ってもらいました。
翌日、ポレポレ坐。ホームグラウンドになっています。いくつもの物語が生まれました。そして今日も。
プログラムに追加文章を載せました。
『音楽愛好家でヴィオラ・ダ・ガンバを演奏する現代フランスの文学者パスカル・キニャールは映画にもなった「めぐり逢う朝」で「音楽とは何のためか」という対話を最終章で書いています。曰く、音楽は神のものでも、愛のためでも、沈黙のためでもなく、死者への贈り物であり、言葉無き者たちへのささやかな慰めであり、世に出ることの無かった胎児達に捧げるものだと。
本日はその意味に満ちているようです。アンゲロプロスの諸作は人間の生死を正面から取り上げていますし、最後に演奏する「ひかり しづけき」の詩は乾千恵さんが御友人野沢晶さんのために、「星がまたたく」は岡部伊都子さんの魂のために書きました。そしてここポレポレ坐・徹の部屋で行った「ミモザの舟に乗って」は山本通代さん追悼のためのものでした。
そして、昨年、千恵さんが出版した「たいようまでのぼったコンドル」の絵を担当した秋野亥左牟(アキノイサム)さんが数日前に亡くなりました。その原画展はここポレポレ坐で行われました。』
そして、乾千恵さんが大阪からこの日のために体調不良の中、「巡礼の旅」と称していらっしゃって下さいました。野沢晶さんのご両親、友人達もいらっしゃっています。「名古屋まで行けるか、浜松まで行けるか、と言う風にして東京まで着きましたよ。」という千恵さんに対して、こちらは精一杯やるしかありません。
ライブ録音予定で準備万端整った小川洋さんにアクシデント発生。直前になってパソコンが言うことを聞かなくなったとのこと。開演時間10分過ぎになって、録音は諦めて演奏を開始しました。こういうアクシデントでおたおたするほど若くありません。そういうこともあるさ、なんくるないさーと始めたのです。歳をとった良い影響ですね。
後で聞くと、正に直前にパソコンは直り、すべてが録音されていたとのこと。じゅんこさん曰く「チベタンボウルを演奏する時、録音機材が壊れることが多いんですよ」とか、私が危惧したのは私の書いた曲が不十分で亡くなった方々に怒られているのでは、ということでした。結局うまくいったので、こういう時によくある悪戯だったのか・・・(元藤さん、川崎さんの追悼演奏の時にいろいろなアクシデントがありました。)
画家小林裕児さん、書家壮弦さん、五禽戯齋田さん、螺鈿隊の梶ヶ野亜生さん、ベースアンサンブルのパール・アレキサンダーさんなどポレポレ徹の部屋お馴染みの顔も見えます。ありがたい。私と直毅さんは4回のライブで仕上げていこうという真面目なところが欠如しています。その時その時で完了してしまいます。本番であろうが、リハであろうがそうなのです。一方、じゅんこさんはどんどんと積み上げるように工夫をしています。うらやましいです。それぞれのキャラクターでしょう。
アンコールに「夕暮れの数え歌」もう一回アンコールで「舟唄」をやり,千恵さんとの共作を全部やりました。現代最先端の尖った演奏でもなく、自己表現の満足感でもなく、いつも人と共にあった歌を感じることができました。ありがとうございました。
人にはそれぞれ物語があります。物語は自分で瞬間瞬間作っていくものです。そうしてその物語の磁場が拡がって人々の物語に参加したり、あたらしい出会いがあったりして新たな物語に発展します。
千恵さんは物語作りの天才ですね。まさに千恵の輪。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です