ミッシェル・ニンツアーの終わりあたりから思い出し思い出し書きます。
ニンを成田に見送りに行き、翌日帰国のミッシェルと帰宅。少し休んで江戸へ。まずはフランスへ郵送のため神田郵便局へ、それならば局裏の神田藪蕎麦しかありえません。少し待ちましたが、東京に残る数少ない名店で鴨南蛮と熱燗、お通しの味噌がまた秀逸。ミッシェルは「んー、んー」と言いっ放し。よほどお気に入りのようです。以前も来店したことが有り、女将さんの注文を読み上げる節回しを大変喜んでいました。その後、ミッシェルのインタビュー場所のある水道橋の喫茶店へ。特上に良い気持ちで歩きます。
昔よく歩いた神田古本屋街、「さぼうる」や「ミロンガ」などの喫茶店、大当たりを何回も見つけた中古レコード店(もう無い)、右翼の本屋、駿台予備校、内山書店・日中学院、すずらん通りの中古楽器屋でフルートを買ったな~、ランチョンのビール(「ビールはランチョンにあり」という名言を作りました。「美は乱調に有り」のもじり)、スマトラカレーの焼きリンゴ、岩波ホールの映画、いもやの天丼(完食すると値引きしてくれる)、山の上ホテルのピラフ(ピラフとチャーハンは違うことを知りました)、ジャズ喫茶「響」の轟音、ロシア料理店サラファンのボルシチとピロシキ、刑罰?博物館、元祖冷やし中華、ああなつかしい、なつかしい。
インタビューは,同席するとどうしても何か言いたくなってしまうので、場を離れ、後ろを向く席でツアー残務処理。だんだんとミッシェルの声が大きくなっていきます。言いたいことを引き出したのでしょうか。しかし、経験的にインタビューは言いたいことが言えるより、自分はこんな事を考えていたのか、とふと小声になる自分を発見するほうが、あとあと興味深いのです。
ニンにインタビューの申し出がなかったのは、この国の「音楽批評界」の貧しさを物語ると言って良いでしょう。愚痴です。スミマセン。
終了後、ミッシェルの切なる希望により銭湯へ行きました。ちゃんとタオルは持って来ておま。500円の銭湯。北海道の温泉の粉末を入れた野天風呂がある以外は普通のサウナ付大公衆浴場。しかし、これがミッシェルの大のお気に入り。実際私も気持ちが良い。来日した日に行き、離日の前の日に行く。「こうして、同じ事を繰り返すのだ、明日ニンを成田に迎えに行き、バーバー富士からツアーがまたはじまるのだ。」などと冗談を言い、ビールを飲む。ツアーも終わると盛り上がった話よりも、内向きの地味で日常的な話が増える。これも大事。ハレもケもあって人生。
帰宅して、日本酒と話。なぜかブラジルの話になり、二人で「カリニョーゾ」を合唱。本棚からピシンギーニャの楽譜を見つけ、さんざんコピーしていくミッシェル。息音で有名なサックス奏者ミッシェル・ドネダはピシンギーニャを練習するのです。「影の時」ツアーの時は、今井和雄さんからトリスターノ、コニッツの譜面をもらっていました。
インプロヴィゼーションは木の股から生まれたものでは無く、人々の生活と夢と願いに繋がっているからこそ力があるのです。「効果音」とは違うのです。