東北へ

東北へ
7月始めに東北へ出かけます。直毅さんはヨーロッパ武者修行のため、さとうじゅんこさんとDUOになります。
小学校、お寺、蕎麦屋で演奏します。さまざまなことがキチンとクリアされれば避難所や自然の中でも演奏したいと思います。
フライヤにこんな文を書きました。
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3・11以後、すべてが以前と同じではあり得ません。特に放射能のことです。ごく簡単に言えば、何があっても最後には「自然」や「宇宙」の摂理に身を任せることが出来ればいいという、古来から無意識に持ってきた願いが否定されてしまった気がするのです。100万年待てっていったいどういうことでしょう?「しょうがないな~」では済まされなくなってしまった。
無力感の中で、「うた」への願いが増してきます。「うた」は何かを呼ぶ仕草であるという考え方に賛同します。うたは「祝祭」と「祈り」に支えられて現れます。身体と心、生き死にを内包しています。目標や確信をもつことが難しくなってしまった今、「うた」が遠い記憶や連帯の可能性、さらには「生きること」の肯定を教えてくれるのではないかと思っています。(齋藤徹)
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三冊同時刊行された和合亮一さんの詩集(「詩の礫」(徳間書店)「詩ノ黙礼」(新潮社)「詩の邂逅」(朝日新聞出版))は、直接問いかけてきます。「その時、その場」にいて何をするのか、何が出来るのか?その時、私は音楽をするのか?それはどんな音楽でありうるのか?そういう想像力とはそもそも何?
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