クッコリ・かむなぎ

沢井一恵さんとのリハーサルが始まった。3・11以後、なんとか4/5のエアジンまでは、と気を張っていたので、フッと気が抜けてしまったが、終わりは始まりの合図でしかない。ハイ、わかっています。
西村朗作曲の「かむなぎ」という17絃とパーカッションの為の曲。パーカッションのパートをコントラバスで、というあり得ない依頼。タムタム・シズル付シンバル・シンバル・ティンパニ・大太鼓・アンティークシンバルという6種の打楽器をコントラバスでやれ、というのは本来ご無体な話。現在ドイツにいる菊池奈緒子さんと「和音」で演奏したのが私にとっての初演。
なぜこういうことになったか。
一恵さんとの長いつきあいのなかヨーロッパ、アジアいろいろと回った。とりわけ韓国との関係が印象的。何回も何回も韓国の演奏家と共に、韓国・日本・シンガポールで演奏した。時には小さな小さな村での一週間のクッ(祭り)に参加したり、中央日報の大ホールで演奏会をしたり、何枚も韓国制作のCDを録音したり。私が金石出さんに捧げて書いた「ストーンアウト」を神奈川フィルと演奏したこともある。(このあたりの話は大変長くなりますのでいつか書きます。)そして、この曲にしても東京・大阪・ニューヨーク・ワシントンで共演済み。
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そして、この「かむなぎ」が韓国のリズムを元に書かれているために、一恵さんの直感が働いたのか、私に依頼が来たというわけだ。前回から数年経つのでまったく新たなアプローチで向かう。
長短(チャンダン)とは韓国のリズムのこと。漢字の意味から言っても長いものと短いものを組み合わせて拍子にするということだろう。小さい単位(小節)を繰り返すという西洋音楽のリズムの考えとは異なる。
音楽用語の訳にはときどき発見がある。曲(日本語)は、曲がりくねったもの、すなわち旋律。日本では音楽をメロディを中心に考えているのだろう。composition(英語)は直訳で「構成」。作曲とはメロディを創ることよりは、構成することに重点があったのか。たしかにソナタ形式など西洋音楽では形式が大変重要だった。
話を元に戻して、チャンダン。私が韓国で最初に習ったリズムが「クッコリ」チャンダン。基本は3×4の12であり、それは春3ヶ月+夏3ヶ月+秋3ヶ月+冬3ヶ月=1年12ヶ月であり、1日24時間(12時間×2)であり、1時間60分、1分60秒とどんどん細かくなるが、逆に見ると終わりなき永遠。
12の永遠のくり返しの始まりは「点」であり「瞬間」であり強拍ではない。かといって、突然出現するのではなく、前からの「ため」がスパークするというイメージ。上から下へ足を踏む動きではなく、軽やかにしかも充分バウンドして飛ぶイメージ。
そのリズムで踊るサルプリ舞は、元々は、「恨・ねたみ・ひがみ・そねみ」が溜まってしまったときに、それを解くために山に入り一人で踊るものだと聞いた。大事なことを聞いたと震えた。金石出さん、朴ビョンチョンさん、李光寿さんたち(なんと光栄なことか)にソウルの楽屋で、珍島の集会場で、打ち上げで習ったので、通訳の具合などで多少誤解があるかも知れないが、私が受け取ったメッセージはそれだった。
「サイトーさん、小さい雪玉がゴロゴロと転がって大きな雪の玉になるでしょう、あれです。人はそれに従って行くしかないのですよ。」と教えてくれたのが李光寿さんだ。共演していて、私に上手く伝わっていないと感じていただろうことは明らかだ。確かに音では答え切れていなかった。その未消化の分がかえって長い時間、私に問い続けている。彼はサムルノリの初代メンバー。各種のアリランを歌ったCDはすばらしい。一度ソウル郊外の彼の家に行ったことがある。玄関をはいると戦いの大きな絵、「私の父は抗日運動で死にました。」練習室には、山盛りの特効薬。時には夜を明かして演奏するのだと聞いた。
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