何か物忘れをしたとき、自分のブログで確認することが多くなりました。ポレポレ坐での「うたをさがして」の時のことを書いて置きます。
演奏曲
テオ・アンゲロプロスの映画より。
台詞は池澤夏樹さん訳。どうしても収まらないところは最低限ですが編集しました。曲は齋藤徹のオリジナル。旧作品に当てはめたものと新たに作ったものがあります。
1.河の始まり :エレニの旅より。夢の中で河の始まりを探しに行こうという若い二人と案内の老人。「手が葉に触れ、水滴がしたたった。地に降る涙のように。」歌と演奏が交互に演奏を繰り返し、河の始まりを知った喜びの円舞を踊ります。
2.クセニティス:永遠と1日より。ギリシャ実在の詩人ディオニソス・ソロモスが母国に帰り革命賛歌を書こうとしたが、「母の言葉が分からない」そこで歩き回り、聞いた言葉を書き留め、知らない言葉には金を払った。「詩人が言葉を買うぞ」という噂が広まる。クセニティスとは「何処にいてもよそ者」と言う意味。テオ・アンゲロプロスがしばしば扱う考え方。リディアンのメロディのまにまに印象的な言葉が立ち現れるという方法をとりました。
3.今日は私の日:永遠と一日より。主人公アレクサンドレの妻アンナが一途に愛を求めますが、どうしても届きません。切ない気持ちを歌い,踊ります。「私はただの恋する女、踊りましょう、踊るのが嫌いでも、だって今日は私の日。」5拍子のアルゼンチンサンバから草原のミロンガで踊ります。
4.コルフーラ・私の花:永遠と一日より。アルバニアから越境してきたストリートチルドレンとアレクサンドレのロードムービーのように話は進みます。その中で口をきかなかった少年が時々口ずさむ歌がありました。「国を追われた私の小鳥は 見知らぬ土地で哀しかろう」「林檎を送ったら腐った、マルメロを送ったらしなびた。・・・ぼくの涙を送ったら・・・・」と印象的な言葉が続きます。
5.ああセリム:永遠と1日より。ストリートチルドレンの仲間セリムの溺死体が発見されます。仲間が廃屋に集まりセリムの服に火をつけ追悼するときの言葉です。「ああセリム、今夜君がいないのが辛い・・・海はとても広い、そこはどんなところ?僕たちはどこへ行く?目の前は海、限りない海だ・・これから行く港のことを君から聞きたかった。マルセイユやナポリのこと、広い世界のこと・・・・」
6.春は約束を守らない:永遠と一日より。長い厳しい冬を耐えて春を待ちわびても、春は約束を守らない。冬の終わりまでだと言われても、春は約束を守らない。
7.目を閉じて:永遠と一日より。アンナがアレクサンドレに問いかける。「嘘をついたあなたは部屋の影に隠れ夜の声に略奪される。私は目を閉じてああなたを見る、耳を閉じてあなたを聞き、口を閉じて訴える。」
8.看守さん:エレニの旅より。反逆者を匿った罪で監獄を転々を移されるエレニ。アコーディオン奏者の愛する夫は、夢を求めアメリカに渡ってしまい、アメリカ国籍を得て従軍し沖縄で戦死する。二人の双子の息子は敵対する軍の兵士となる。「看守さん 水がありません 石鹸がありません 子どもに手紙を書く紙がありません。また違う制服ですね 灰色の制服 黒い制服 名前はエレニです 反逆者を匿った罪です 今度は何処の牢獄です?」と夢にうなされるように繰り返すシーンの台詞です。
9.霧の中の風景:霧の中の風景より。二人の姉弟が、ドイツにいるというまだ見ぬ父親に会いに汽車に乗る。「時間を忘れながら、しかも急いでいる。」「到着する当てのない旅はとてもむなしい。」子供が大人になる過程で失われてしまう大切なものを思い起こさせるロードムービー。最後には国境を越えたのか?幻視なのか・・・・
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オンバク・ヒタム(もう一つの黒潮)に沿って
齋藤徹のテーマであるオンバク・ヒタムから、今夜はまずジャワガムランの歌から始めます。
ジャワガムランにおける声楽は器楽的な性質を帯び、歌詞の内容は近年作られた俗曲を除いて実は曲名との関連性がほとんどありません。古いジャワの文語で書かれた定型詩から、曲や演奏に合った形式のものをその都度選びます。しかも意味は非常に難解で熟練した演奏家でも理解できないことすら多いのです。本日選んだのは、ウィットに富んだパーカッシヴな言葉遊びやジャワらしいロマンチシズム、独特の不思議な調性感が濃厚な、大好きな曲です。(さとうじゅんこ)
「夢」
<前歌>
空を飛ぶ。
果てしなく、あちらへこちらへ。
そんな想いにふけるうちに夢の世界へ。
<本歌>
うるわしい天女のような乙女。
近寄ってたまらず手を取ると甘く微笑んでくれるのだけれど。
残念なことにこれは、そういえば夢であった。
「ベチャの運転手さん」
今日も一日ベチャをこぐよ。
キツイ仕事、西へ東へ一生懸命働くよ。
陽が沈んだら・・・
あとはお金を数えるよ。
*ベチャ:自転車を動力とする人力車。庶民の足であり、熱帯のジャワでこれを生業とするのは底辺の労働者と云われています。(さとうじゅんこ)
「ブンガワン・ソロ」(グサン・マルトハルトノ作曲)
最古のポピュラー音楽と呼ばれるインドネシアのクロンチョンの代表的な名曲です。ゆったりとたゆたう曲調をジャワガムラン歌手でもある「さとうじゅんこ」さんがしっとりと歌います。松田トシ、藤山一郎、渡辺はま子さんも歌っています。大東亜戦争のひとつの側面です。グサンさんは2010年5月に92歳で亡くなったそうです。(CDむがさり唄ライナーノートより)
さてさてジャワから船出します。
オンバク・ヒタム琉球弧編1・桜鯛(齋藤徹)
オンバク・ヒタムとはマレー語で黒潮の意。インドネシアに端を発し、琉球弧を通り、九州の西をぬけ、朝鮮半島に流れ、最終地点として日本海側に流れ着く海流とそれがもたらす文化に興味を持ち、ライフワークにしています。この海域には、地方→東京→欧米という図式を越えるオルタナティブがあると夢見ています。
ストーンアウトより 序章~トンビ(齋藤徹)
もう一つの黒潮は、朝鮮半島に辿り着きます。チン(銅鑼)の合奏で迎えられ、クッコリチャンダンへ。韓国の箏を意識した演奏から、大空に舞うトンビ。金石出さんへの感謝を表しました。「空の果てを探して、私は飛び立つ、成層圏をめざし、未来圏を越えて・・・・空の穴めざし、沈黙をめざして」
最上川舟唄( 渡辺国俊 編詞、後藤岩太郎 編曲)
韓国から流れた海流は日本海側の海岸に辿り着き、川を遡ります。
古楽からトルコへ
「めぐり逢う朝」(アラン・コルノー監督・パスカルキニャール原作)という映画も私に大きな影響を与えました。16~17世紀の音楽。続けて演奏します。
「Une jeune fillette」(シャンソン)
若い娘がおりました。
気立ては優しく、陽気できれいで徳も高い。
けれど意に反して修道女にされてしまい
ちっとも嬉しくない悲しい思いで暮らしました。
「夢見る人」(マラン・マレ)~「Marche pour la ceremonie des Turcs」(ジャン・バプティスト・リュリ)~トルコ軍楽隊の音楽
音楽とは、「死者への贈り物」「言葉なき者達へのささやかな慰め」「世に出ることの亡かった胎児たちに捧げるものとするマレの師匠サント・コロンブ。もう一人の師匠リュリのマーチはトルコ軍楽隊の影響が濃厚です。勇壮なマーチ、遠くで響くラッパ。
アンコール
「天然の美」「恋のバカンス」