即興に関するよしなしごと(9)

shapeimage_1

「聴くこと」は「待つこと」であり「信じること」
即興演奏に関わらず、人生一般に言えることで、いつも思い出すようにしている言葉です。立ち止まらずに視ることはできます。が、聴くためには立ち止まらなければなりません。立ち止まるためには信じていないと立ち止まれません。野口三千三さんは「貞く」と書いて「きく」と読ませて、「野口体操・からだに貞く」「野口体操・おもさに貞く」という2冊の本を書きました。日本では、香りも「きく」、酒も「きく」わけですので、「きく」ことはいろいろと拡がりを持ちます。シェークスピアも「目じゃない、耳でみるんだ」と書いています。

即興演奏の現場から体験できます。

「信じて」「待って」いる、そうすると共演者に自分の演奏を「してもらう」ことさえできます。自分の良いところを表現して勝ち負けを競うわけではない。せっかく一緒に同じ場所にいて音を出しているのだから、そうしたいものです。共演者をそして自分を信じることができず待てないと共演は成り立たない、演奏は成り立たないわけです。

音楽を破壊するのではなく、音が音楽になる直前の状態を味わいたいと思っています。ノイズや音の断片から歌になる直前を味わいたい。そのためには、変な言い方ですが、ある程度のところで歌にしてしまわずに、「まだまだ」とギリギリまで待つのです。

フリージャズの現場では、何も無しで始まっても、ある音程とかあるリズムある音楽に共有意識が生まれると、そのまま「音楽」にしてしまうことがよくあります。この方法だと、自分の知識・情報・技術を越えたものが出にくい。

インプロバイズドの現場でも「待ち」きれずに、似たようなことが起こることがあります。大事なのはどの方向を向いているかかです。太田省吾さんから学んだことの中でいつも思い出すのは、「喜怒哀楽は表現ではない」ということと「否定の文脈で語ることは簡単、これから大事なのは肯定の文脈で語ることだ」ということです。

インプロビゼーションも否定でなく、肯定の文脈で捉えることが大事だと思います。信じるために疑う、とでも言うように。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です