カフェ・ズミ DUO 終了

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あまりに濃い聴衆がギッチリいらっしゃる。カウンター内に避難し「こんなに大事な友人・知人が列席しているなんて私の葬式のようだ」と言ったらシャレになり損ねてしまった。「こりゃ、メンバー紹介するより、客席紹介した方がよっぽど良さそうだ」と言ったらこれは合点を得た。

実に熱心に聴いてくださる。こういう熱心な聴衆に恵まれるのは、実に幸運なことだ。単なる人気だけでは得られまい。

古楽をやるためにもともと半音低くチューニングしていたが、熱気でさらに半音近く下がってしまったガット弦。聴衆の熱気は本当に蒸気を生み、湿度を高める。でも楽しかった。

このところの円高で、ガット弦が比較的に安い。4割は安いので、今年は早めに替えることが出来た。まだ伸びきっていないので、狂いやすい。でも楽しかった。
↓右上に「Tetsu」の字が見える特注・極太ガット弦。Gamut社

楽器の音に耳を傾け、従って行ったら、自然にガット弦になり、フレンチ弓になり、エンドピンもテールワイヤーも金属製のものを止めた。前述のように半音ほど下げると実に堂々と鳴る。(このやり方は古楽のヴィオラ奏者と演奏したときに習った。)この位の音で育ってきた楽器なのだ。クッキリハッキリした大きな音を求めるうちにだんだんと基準になる音も高くなってしまったのだろう。私は明らかに、世の中の流れに逆行している。音程感のハッキリしないもっさりした小さな音が好きなのだから仕方ない。

基準になる音はとても大事だ。律令制度の「律」は音律の律。古来中国で国が立ち上がるとまず政府が行ったのが基準の音の制定。それが全ての尺度の基準になり、税金さえそれによって決まったのだ。

さて演奏。

「ラ・フォリア」は、グレゴリオ・パニアグアのCDでよく聴いていた。1枚全部ラ・フォリアを演奏しているし、昔で言えばちょうどLPの裏表交換のあたりでバイクのエンジン音が入っているぶっ飛んだ演奏。リハ中に直毅さんの提案がありイントロのように使った。今年のスペース・フーでのジャン・サスポータスとのデュオで、ジャンさんが走り回るシーンで弾いた。単純だが強い和音進行とアルペジオ。いつ果てるともなく走り回り続けるシーン。得体の知れない切羽詰まった感情を生み出した。

リュリの「トルコの儀式のための行進曲」は、私にはトルコ軍楽隊に直結する。アドリブシーンでは、私はスネアドラムの響き線を模して、軍楽隊の太鼓になった。軍楽隊のホンモノのメロディを差し挟みもした。向田邦子のテレビドラマで新築のマイホームが川の増水で流される(実際の映像)ところで使われ有名になったメロディ。25年くらい前に新宿の街をトルコ軍楽隊が行進したこともあった。

「夢見る人」では、イントロとエンディングに一つの音とその倍音だけでなるべく長くやろうときめた。メインはメロディではなく、この「一音」。一つの音からメロディが顕れて消える。音楽ってそういうもの?

バッハのフルートパルティータ・サラバンドはメロディを交代しつつ伴奏は即興した。ピアソラのタンゴエチュード3番は、曲集の中でもっともタンゴの曲に近い。和音進行はピアソラがよく使っているもので、「酔いどれ達(ロス・マレアドス)」と同じだ。私もとても惹かれる和音進行で「タンゴエクリプス」では何カ所も使っている。

これら2曲のフルートソロ曲は、イ短調(Am)で書かれていてフルートではとても演奏しやすい、コントラバスも楽、しかしバイオリンは弾きにくいそうだ。しかし直毅さんはしっかりと準備して弾きこなしていた。

バルトークの「蚊のダンス」は44のバイオリンデュオ曲集の中の一つ。30年ほど前にチェロの翠川さんと「低二弦」(ていじげん と読む)をやっていたときに持って行った懐かしき曲だ。今回これを持って使ったのはジャコー・ド・バンドリンの「蚊」にちなんだショーロのイントロでやってみようと言うことだった。

ジャコーは本当にすばらしいバンドリン奏者だ。今をときめくアミルトン・ジ・オランダに至るバンドリンの歴史を全て作っていった。ジョアン・カエターノ劇場のエリゼッチ・カルドーゾのライブでのジャコーとエリゼッチは豊かな時代の豊かな音楽の見本のような記録だ。

この2曲のショーロは早弾きを楽しむ要素があり、コントラバスにはムリがあるようだが、よく工夫すると不可能ではない。力を抜いた方法を考案してやっていくよい。演奏する悦びというヤツは麻薬のようだ。人は「おもしろい」ことには治外法権を与えてしまう。『欲』や『快楽』と言い換えても良いのかもしれない。食欲・性欲・所有欲などなど。演奏欲があるとすれば、それをちゃんと意識しながら、変なところに陥らないよう注意しながらやっていこう。

後半は、楽譜を片付けて、チューニングも現代標準の440に戻して,40分の即興演奏。前半の曲群が本当に強い音楽だったので、どんな即興になるのか、多少の不安はあった。しかも相手がある。まあ気張らずに身を投げ出すのみ,と言う覚悟。最終段階で、なかなか終わりにしたくなかったので、引っ張ってしまったのが、良かったのか悪かったのか,判然としないけれど、あの時は終わることができなかった。「どの時点で『音楽』にしてしまうのか?」「まだまだ『音楽』にせずに踏みとどまり、さらなる大きさを求めるのか?」言葉で言うとそういうことになるのか。

打ち上げでは、みちのくトリオのさとうじゅんこさんの『恋のバカンス』も飛び出し、話に花が咲いた。久しぶりの打ち上げらしい打ち上げ。(参加するために電車で楽器を運んだのだ。)

それをすべて可能にしてくれた場所・Dzumiとオーナー・泉秀樹さんに感謝!

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