即興に関するよしなしごと(2)

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即興演奏が唯一・最高の音楽方法とは思っていません。

だから即興の良さが実感できます。簡単に言えば、即興をやるなら、即興でなければできないことをしなければ意味ないし、作品をやるなら作品でなければできないことをしなければ意味はない、ということ。逆から言うと分かりやすいかもしれません。「こんな即興だったら作品の方が良い、とか、こんな作品だったら即興の方が良い」ということ。

大事なのは、それが即興であるか否か、作品であるか否か、ではなく、音楽そのものの訴えるチカラ、聴衆と共有するチカラ、場を取り仕切るチカラであるはずです。

そして、「即興」と「作品」は、一対一の対義語ではありません。

「作品」の対義語は「即興」かもしれませんが、「即興」の対義語は「作品」だけではないのです。

何も用意していなく、紙に書いたものがないからと言って、即興ではありません。手に馴染んだ音をランダム演奏したり、ただだらだらと演奏するのを「即興」とは言わないでしょう。

逆に、作品を演奏していてもまるで「今ここで生まれている」ような印象を与えてくれる演奏もあります。韓国出身の作曲家・ユンイサンさんは,即興演奏に聞こえるような作曲をしたい、と言っていました。楽譜が真っ黒になるような作曲をするブライアン・ファーニフォーさんとバス・クラリネット奏者ハリー・スパルナイさんのやりとりは興味深いです。(ハリーさんはエリック・ドルフィのゴッド・ブレス・ザ・チャイルドをそのまま演奏したりしています。)

苦労して楽譜通りに演奏したものよりも、楽譜通りでなくても雰囲気をうまく演奏できた方を、作曲家はより評価しました。

沢井一恵さんの例も面白いです。彼女の演奏を聴き、作曲家が「私の書きたかったものを演奏してくれました。ありがとうございます。」と感謝したと言います。一恵さんは楽譜からエッセンスのようなものを?んで、それを即興的に演奏したのでしょう。おわかりのように、楽譜通りでは無かったのです。

作曲家が譜面に書き込むときに、多くの情報が抜け落ちるのだと思います。楽譜に書かれたものを忠実に演奏するということの「忠実」という意味を問い直す事が必要でしょう。

数年前、現代音楽の演奏を頼まれたときに、共演者と作曲家と相談して即興のパートを作ってもらいました。この中で、即興をしてみたいと思ったからです。演奏会では、即興部分がとてもうまく行き、その曲自体の評判が高くなりました。それは、即興のチカラだけではなく、そうさせた作曲のチカラでもあるのでしょう。

即興の対義語を「当たり前と思われていること」「常識」と考えてみたらどうでしょう?当たり前を崩してくれる瞬間、常識を覆してくれる瞬間。それは「発見」と言い換えても良いかもしれません。

発見とは、新たな自分の発見と言えます。ですから、即興の対義語は「自分自身」とさえ言えるでしょう。

新たな自分と言ってももともと何もないところから急に現れたりはしません。発見を英語で言うとdis-coverであるように、覆いを取り去ることです。

発見の瞬間は、演奏家も聴衆も共有すると思います。聴衆と演奏家の差が無いのです。
これも、即興演奏の持つ良い面でしょう。

美術家のアバカノビッチさんとのコラボレーションをワルシャワでやったとき、彼女の大規模な回顧展を兼ねていたので、かなり昔の作品も多く展示してありました。昔の作品のいくつかは、とてもインスピレーションに溢れていて、ドキドキしました。作品を創った時のインスピレーションは、(発見の感動は、)時空を越えて伝わりました。その時のコラボレーションの大きな力になりました。

また、土方巽フェスティバルの時に、彼の代表作「肉体の反乱」の映像に音をつけて欲しいという依頼がありました。本来の映像にはビートルズの音楽を耳を聾する音量でつけてあったと言います。そして元々の現場は、わざと下手なピアニストのライブ演奏でやったということ。昔の映像に音をつけることには、あまり気が乗らなかったのですが、映像と対峙した瞬間に身体を持って行かれるかのように、「共演」してしまいました。あまりの一心不乱の様子にまわりが心配したそうです。

↑の写真は、今年フランスツアーでミッシェル・ドネダと久田舜一郎さんの音楽談義の様子です。「型」をやるだけ、とおっしゃる久田舜一郎さんのなんと即興に満ちているか!!

「ジャズには名曲無し、あるのは名演奏のみ」と大橋巨泉がよく言っていました。ご存じの通りジャズはアドリブと言って、和音進行に乗って、音楽をその場で作っていくことが基本に発展しました。しかし、ジャズの代名詞のようなデューク・エリントンの演奏はどうでしょう?必ず演奏する「A列車でいこう」にしても「ムードインディゴ」「ソリチュード」にしても、ほとんど書かれたとおりの演奏です。クラリネットで長期間エリントン楽団にいたラッセル・プロコープは「50年間毎日のようにムードインディゴを吹いたけど、毎回、新鮮だった」と言っています。「A列車で行こう」のクーティ・ウイリアムさんも同じです。

だからといって、エリントンの演奏が「ジャズじゃない」とは誰も言わない。私は、圧倒的にジャズだと思います。

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