うた 歌 唄

Oleで終演後、聴きに来てくださった小林裕児夫妻・高場さん・峰さんたちと気軽な会話。こういう話の中にいろいろな「きっかけ」が隠れているのでなるべく思い出すようにしている。

トニー・ガトリフ監督の「ベンゴ」の中でフラメンコ歌手が「ラブユー東京」を歌うシーンがあって・・・うんぬんの話からは、メキシコの大衆歌謡をやったり、80年前のブラジルの曲をやったりしているのに、なんで日本の大衆歌謡・演歌などはどう捉えるの?というキツイ視点。

これから日本で良い歌が生まれる可能性を高場さんはある程度もう諦めている。これだけ世界中の良い音楽を身体に入れてきた人の発言は重い。アルゼンチンにタンゴやミロンガなどのリズムがあり、ブラジルにはサンバがしっかりとそしてあたたかくある。その上に安心して言葉を載せ、メロディを、ハーモニーを乗せて行けばいい。

サンバもタンゴもアフリカからのリズムが下支えしている。ブラジルには表現の世界に「食人」というコンセプトがあって、何でも食べちゃって自分のものにするということを考えているというが、サンバという食卓があってこそなのだろう。異端と言われてきたピアソラも実は本流ど真ん中の食卓に収まっている。そもそも異端という発想自体が、本流があっての話。

日本にリズムがあるのか?大ヒットしている演歌には三連音符で言葉をたたみ掛けたり、民謡の強いリズムがある。それに乗った日本語が演歌には生きている。ずっと演歌嫌いだった小泉文夫さんが、ある時から見直して「骨の髄からググッと来る」という表現を使ったのも理解できる。

そこから発展するはずの歌が、敗戦後のアメリカ一辺倒と資本の論理で、アメリカンポップス、ロックが怒濤のように入ってきたために生まれ出ることがなかった、のか。音楽の底力は、やはり、社会の底辺から来ているはずだ。もつ鍋やフライドチキンが被差別の食べ物だったと言う。それを今やオシャレなOLが競って食べている。(「差別の食卓」新潮新書)それと似た構造のように思う。「おいしい」ことを、意識でなく「身体」(記憶)が知っているのだ。

最近観たカエターノ・ヴェローゾの映像「コラソン・バガブンド」は、「foreign sound」のツアーを扱ったドキュメント。大阪ツアーが大きく取り上げられていて面白い。実は、私はこのCDが好きでない。アメリカのスタンダード曲を取り上げて、英語で歌っている。あんなに知能犯で確信犯のカエターノがなぜ・いま・ここでこの録音をだすのかが大きな疑問だった。特にオークランド・バークレー(アメリカで最も革新的な街)の「進歩的」な映画評論をしている人の家に滞在していたときに購入し、聴いたものだからなおさら。通して聴けなかった。時は9・11事件の直後、アメリカがドンドン醜い戦争を仕掛けていた頃。(バークレー選出の民主党議員が『ブッシュ大統領に9/11報復攻撃の全権をゆだねる』法律案にただ一人反対した。)

さらに言えば、私の世代はアメリカ文化憧れのまっただ中で育ち、(日本はアメリカの51番目の州だ、などというキャッチコピーが好意的に受け入れられていた!)ジャズに憧れレコードを聴きまくった。アメリカンスタンダードは謂わば、一般常識だった。しかし一方では、そんなもの軟弱だという意識もあった。そんな中でジャズ界がフリージャズになる方向と同時にロックやポップスにすり寄っていくのを、何が起こっているのか訳がわからず観ていた。日本のジャズ界はもっとわかりにくかった。

憧れというものは徐々に薄れていくものだ。フリージャズの動きが、各国の民族性・民族音楽に注目するようになっていく。その影響もあって、前々から興味のあった伝統音楽、民族音楽を聴き、その流れで自然にラテン音楽を聴くようになった。

個人的な事情から言えば、アメリカンスタンダードは、越えるべきものという暗黙の了解があったのだ。そのためにカエターノのこの録音がなおさら受け入れがたかったわけだ。もちろんカエターノに対する期待が並外れて高かったということもある。

この映像で、なぜいまアメリカンスタンダードを歌うのかをいろいろと説明している。曰く『粋な男』でラテンアメリカ音楽の古典や未来に繋がるスペイン語の歌を取り上げて、それがいろいろな効果をもたらした。アルモドバルの『トーク・トゥ・ハー』で取り上げられた『ククルククパロマ』など思わぬ展開をした。(私自身大いに啓蒙された。)こういう効果を昔から馴染んでいた豊かな英語の歌にも期待した、と言うこと。

なるほどね、と思うと同時に、それは成功したのだろうかと思わざるを得ない。サンパウロでのライブのMCで「こうやって英語の歌、他人の作品を歌い続けていると、どうしても自分の新しい歌を歌いたくなるよ」と言って1曲歌いきった直後、感極まったように「イエイ・・・・・イエイ・・・・イエーーーイ!!!」とビックリするような雄叫びを発している。このシーンはとりわけ印象的だった。何のイエイだったのだろう?

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