ORT 通過儀礼その1

ORTへ。ペーター・コバルドさんの個人スタジオを残し、アソシエーションにして、コンサートもできる場所にした。その名もORT=場所。そして、ここで年間何人か外国人をアーティスト・イン・レジデンスとして一ヶ月間、迎え入れ活性化を図っている。今回それに私が選ばれたわけだ。優れたバイオリン奏者グンダさんが切り盛りをしている。カフェで初対面。いかにもドイツ風、質実剛健な裏表無い人だ。1994年から一年間、旅が多かったペーターさんが、一年間地元から出ない、と宣言して、毎週のようにいろいろな企画を立てて実行した。その際に、音楽学生だったグンダさんは即興音楽に魅せられたとのこと。

グンダさんから驚きの知らせ。6日にミュンスターで再会できると思っていたミッシェル・ドネダ、ル・カン・ニン、ファブリス・シャルルが3日にブパタルに来てORTで私と共演するという。まさか、彼らを受け入れる立場になるとは思いも寄らなかった。彼女はインプロ界のネットワークの受け入れ先になっているわけだ。こんなに短時間でそういうことが決まることにも驚く。私のドイツでの予定が日程・場所・メンバーなども以前聞いていたものと違っている。「郷に入れば、郷に従え」というわけだろう。

ORTに入り、楽器と対面。ペーターさんのセカンド楽器を見せていただく。ファースト楽器は娘さんの所にあるそうだ。これまたいかにもドイツのストロングな楽器。フランスで使っていたジルベールとは正反対。ともかくこの楽器を弾いてペーターのことを感じ、良い音を出し続け、充分なケアをして、良い状態を保つよう努力するのが私の仕事と確認。最近リペアしたということと、セカンド楽器だったということで、直にペーターを感じる度合いは少ない。

というのは、かつてサンフランシスコで、亡くなったマシュー・スパーリーさんの楽器を弾いたときは、まだ彼の死を認知していないベースを感じて少々困惑したことがあったからだ。

とりあえず試奏。私はこの楽器に戸惑いながら弾いていたのだが、ジャンによると、この試奏を聴いてグンダさんは私を受け入れてくれたとのこと。「彼にはもっと良い楽器を用意しなければならないわ。」とのことでしたが、私はピーターの楽器で充分です、というか、この楽器を弾きたいわけです。決してお世辞を言わないグンダさんのその言葉で、ジャンも一安心したと言うこと。紹介したは良いが、もし良い関係が築けないとしたら彼の立場も大変。共同体の中に入るためのイニシエーションがすでにいろいろと始まっているのだろう。まあ、格好を付けても仕方ないので素のまま行くしかないことくらいはこの歳になれば分かっている。

みんな帰った後、弦を生ガットに替えたり、駒の調整をして何時間か弾いてみる。ほんの少しずつ弾きやすくなる。ピーターはかなりヘビーな状態で弾いていたということをバール・フィリップスに聞いていた。チューバを演奏していたピーターがバールの演奏を聴いてベースに目覚め、調弦から何からバールが教えたそうだ。バールの種まきは昔から続いている。ピーターのように大きく育ったケースは稀だろうけど・・・・。そして、ピーターの突然の死後、決まっていた仕事の多くをバールがエキストラで演奏した。個人を超えて音楽は続いていく。

ずいぶん昔、東京でピーターさんと共演が決まっていて、アケタの店へいそいそと出かけたが、入り口でピーターさんが「ゲーテインスティチュートとの契約で、残念だが、ここではできない」。その後、ミュージック・アクションフェスでとなりの楽屋だったので、少し話したりした。そして追悼ベースカルテットをカナダのヴィクトリアビルでやった。

個人的にとりたてて深い縁があるようには見えないが、ジャンがピーターと長年デュオを組んでいたこととか、バールさんとの繋がりとかを考えると、私のベース人生のど真ん中の出来事だ。粛々とレジデンスの1ヶ月を過ごさねばなるまい。

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