翌朝、マルセイユに戻る。駅のタクシーはパリとは違い親切丁寧。すぐにGRIMに到着。演劇学校、映像学校、出版などを兼ねる総合的なアソシエーション。いかにも自由なわかものがのびのびと空間を楽しんでいる。いいな?。自由な雰囲気と、クリエイティブな雰囲気が分かちがたく備わっていることは大事なことだ。入れ墨のスゴイ若者も、とても礼儀正しく気持ちが良い。若いエネルギーをこういうカタチで集中させるアソシエーションの在り方は、とても良い印象。
演奏場所と宿泊場所がとなりなので、大変楽。短時間でサウンドチェックを済ませる。チェックと言ってもすべてアコースティックなので、簡単。久田舜一郎さん用に後ろの幕をはずし、久田さんの位置を決めるとほとんどが決まる。鼓は後ろの壁の反響がとても大切。
「時雨を急ぐ、紅葉狩り・・・」を教わり、謡うミッシェル、GRIM中庭
客席は、表現に関わる人が大多数なので、独特の雰囲気があり、拍手・アンコールも熱い感情が伝わってくる。「おまえは何をやりたいんだ?」というシンプルな対応なので、いかに久田さんが無形文化財であろうと、紋付き袴であろうと、まったく関係ない。「男が三人いて、何かやりたいことがある、ならばよし、聴いてみよう、仲間も誘ってみる」という単純な構造が良いのだ。そういう「きびしい」状況を楽しんでいるような久田さんは、貴重な存在だろう。日本ならば「先生」として尊重され、いつも場の中心にいるのだろうが、ここではそういうことはない。沢井一恵さんも一緒に海外に来ると本当にのびのびしている。げに、看板は重たいのだろう。
エリックM夫妻(もうじき結婚するという)も来てくれている。「影の時」(ミッシェル、ニン、一恵、和雄、徹)のツアーを手伝ってくれたローグの人たち、(その時のライブCDRも制作している)、残念ながら閉鎖してしまったプジョービル(バール・フィリップスの家の近所)のライブハウス兼ホテル「ブルーブッフ」の人にも再会。(ここでは、バールを中心にして、マルコム・ゴールドスタインもステファノ・スコダニビオも演奏していた)10数年前のミッシェル、アラン・ジュール、私のトリオの手伝いをしてくれた女性にも再会。うれしいものだ。終演後も夜遅くまでみんなの談笑が続く。
翌朝また5時起きで、タクシー2台分乗して駅へ、そして、パリ・ガルデリヨン駅からパリ東駅まで大型タクシーで移動、軽く食事をして、いざナンシーへ。
私のヨーロッパでのすべての活動はここナンシーのミュージック・アクションから始まっている。想い出の詰まりに詰まった街。バール・フィリップスさんが「誰でも連れて来て良いよ」というので、沢井一恵さんに同行願い、スイスまわりでナンシーに着き、ホテルで、ミッシェル、アランに初対面。(バール・フィリップストリオのメンバーだった。)このトリオに私たちが加わり「5th シーズン」というグループで、フランス・スイスツアーをした。バールさんの撒いた種は、世の中のあちこちで芽を出しているが、私のケースもその一つ。
改装されたCCAMはとてもキレイでなんとなく戸惑ってしまう。どんどん知人に会う。ル・カン・ニン親子、ミッシェル・ラジ(ダンサー)、ドニク・ラズロ、CD「ムオーズ」を録音してくれたジャン・パランドレ、マリオン、ミッシェルの娘ジュリー、フランソワ、ブルーノ、そして親分ドミニク・リピコー!昨年無念にもキャンセルしたミュージック・アクションが今年再開。昨年予定のミッシェル・徹・久田舜一郎トリオ(スプリング・ロード10)がそのまま今年演奏できるのはうれしい。
なじみのホールで、サウンドチェック、そして演奏。ここの聴衆は、ミュージシャンが多数なので、また違った雰囲気だ。思い切って演奏できているのかが問われている感触。インプロバイズドの演奏は、日常のすべてが問われてくる、そういうことをヒリヒリと実感する。
アンコールの拍手も2回受ける。やっと私も客観的にこのフェスを楽しめるようになった気がする。アソシエーションを繋げ、みんなで献身的にこのシーンを盛り立て、持続していくという感じがわかってきたわけだ。こういう状況こそが、ミュージシャンやスタッフの意識を高め、レベルを維持し、志を高くしているのだろう。ある1人が「この仕事は一生の仕事に足りる」と感じ、黙々と仕事を続ける、そして、望むらくは、同時発生的に何人かがそう思う。そういう連鎖がシーンを作っていくのだろう。
日本のように、個人個人のほそぼそとした活動では持続するのが精一杯、あるいはそういう気持ちになってしまう。うまくいかない不平をいうことでバランスを取るという悪循環かもしれない。さもなくば、力のある方へ寄っていく。そこで失われるものは大きいし、力のある方もそれによってスポイルされる。バルカン半島に旅をしたミッシェルが、そのあまりの疲弊ぶりにショックを受けたそうだ。いつものように演奏しても「なぜこういう音なのか?」という質問を受けたという。「不平を言うことは、もうできないよ」とミッシェル。「不平を言うには人生は短すぎる」というのもドイツのベーシストに聞いたことがある。