花は朽ちて萎れるからこそ、美しいと感じ、人は老い死ぬものだからこそ愛しい。萎れること・死ぬことが出来ないものならば、何の感慨もわかないはずだ。「死」をもたない表現は「効果」にすぎず、消費されるだけの暇つぶし、と自分にいつも言い聞かせている。
いつもながら聞きかじりだが、アポトーシスという「プログラムされた死」によって生体は保たれているという。一瞬一瞬、生は死によって保たれている。
「何のために生きるか」は「何のために死ぬのか」と同義のはず。しかし浮き世では、死をなるべく遠ざけるためのシステムがどんどん膨張している。刹那的な笑いで憂さ晴らしをしたり、無音を怖がりBGMを流し続け、おしゃべりを続ける。あたかもこの喧噪の生がずっと続くかのように振る舞っている。
なんだか遠大な話になってしまった。ミモザ号出航は、乾千恵さんの詩から始まった。千恵さんの大切な友人のパリでの死への思いが詩になった。小林裕児さんの「朱い場所」の中にでてくる青いボートに乗せたミモザが、引き金になって思いが言葉になってあふれて出してきたのだろう。
思えば千恵さんからはいつも「教え」を受け続けている。人は誰でも、死と隣り合わせの生を生きているのにもかかわらず、考えないようにしている。千恵さんの生活は、そうではない。溢れんばかりの生の謳歌は、深い死への思いによって動機づけられている。
インドネシアに行って来ました、アルゼンチンに行って来ました、と言われると「いいですね〜」とつい思ってしまうのだが、彼女は本当に「死んでも良い」覚悟をもって出かけるのだ。そこに思いを馳せなければ、彼女の旅行エッセイは読めない。
何年か前、フランス・トゥーロン付近のバール・フィリップスさん宅で千恵さん一家と会った。「巡礼の道」と茶化しながら言っていたが、階段が一段多いかどうかが進行を決める壮絶な旅であることを知った。
そんなことを言うと「またテツさんはおおげさな!」と怒られてしまいそうだ。大阪の気質が良いように作用しているのだろう。関東の田舎ものにはなかなかわからない「かろみ」。
今回のポレポレも「行きます」の一言。何のために生きているのか、という問いが日常化している。その時・その場での優先順位を決めるのがとても速く・シンプルで決してぶれない。そういう千恵さんが行く先々で人々に与える影響は計り知れない。
一番大事なことをつい忘れがちになる生活の中で、人々は千恵さんと触れることでいつもふと我に返ることが出来る。
何のために音楽をやっているのか?何のために生きているのか?
はっきりさせようぜ。イエイ。