風邪でちょっと身体と気持ちがローなので思い出話でも。
高場さんとの昔の写真がでてきました。
なぜかよく覚えています。『ユーラシアン弦打エコーズ』というコンサートシリーズの打ち上げ。たしか三軒茶屋。ピアソラやユパンキの亡くなった年でした。顔半分の栗林さん、メガネの長橋さん、小樽に引っ越してママになった羽生さん、音響の小岩さん、みんな若い!私は、髪が真っ黒だし顎の線がシャープですね。そして親孝行に肩をもんでくれているマイキーです。
冗談でよく、この時は何か不思議なものに後押しをされていたようだ、というのですが、確かにもの凄い勢いでした。招聘した韓国のミュージシャン、ヘーグムのカン・ウニルさん、コムンゴ・アジェンのホ・ユンジュンさん、ピリのウォン・イルさんは、韓国伝統音楽界で指導者として、映画音楽家として確固たる地位を築いているようです。キム・チョングさんはどうしているのかな?彼は金石出一族のシャーマンでした。
さて、打ち上げの現場、乾杯をする前から四人が歌うは、踊るはでした。『サイトさん、サイトさん、ちゅぎはサイトさんのうたで?す」と言われても歌う歌が無かった。その窮状を栗林さんが救ってくれました。確か、長野の民謡を歌ってくれました。邦楽の強さ、そして故郷があることを羨ましく思いました。
そうそう、この前日の神田パンセホールでは、金石出さん・キム・ジョンヒさん、キム・ヨンタクさんもゲストで出てくれて大騒ぎでした。そういえば、この企画を大手の巨大広告代理店が興味を持って演奏後に、話しに来た!のを思い出しました。あまりの低予算で行われていることに彼らは仰天していました。時はバブル。その後、アジアや韓国とのコラボレーションで大きな企画が次々と実現しているのを見て、このことだったのかと思います。
自分が今・ここで何をやっているのか、考える時間も余裕もなく、ともかく突き進んでいた感じです。雅楽・邦楽・ジャズ・韓国伝統がほとんどリハーサルも無く、一同に3日間演奏したのですから・・・・今はそんな勇気はございません。
お支払いとか、ちゃんとやっていたのかな~。不安がよぎります。ちょっと大きめな自主公演はこのあと昨年のオンバク・ヒタム公演までなかったわけです。
大きな仕事を毎日のようにしている人たちには分からないでしょう。たまにやるからありがたさが増して増して増してハレの場になる、毎日だったら仕事・日常、なんて負け惜しみか?
こういう会にも中南米音楽編集長・高場さんが来ていてくれているのは今更ながらに感謝です。