徹の部屋vol.5_終了

詩人はとってもお茶目。野村さんが知らない人になって登場。本格的なカツラを着用し、ちょっと通り過ごしたら判別ができない!ほど。やってくれますね。ホント。

初めての方法の準備、段取り、会場作りでてんてこ舞い。開場時間が過ぎても準備を続けました。野村さん共々メキシコでお世話になった南映子さん(http://alsur-jacaranda.blogspot.com/)、先日アフレコが終わったばかりの旧野村さん準主役の映画を撮った監督、詩人、野村さんのファン、出版関係者など新しいお客様もいらっしゃる。

開演直前、オーナーの本橋成一さんが現れ、ニュー野村さんと雑談、野村さんの本(「風の配分」も)のデザイナーと本橋さんの写真集のデザイナーが同じだと判明。

第一部は「風の配分」から

20番 近傍について  

これから始まり始まりというわけでバッハの一番

25番 他の膜

ひとつの音の倍音だけで(特に高い倍音を出すのでホーミー奏法と呼んでいる)演奏、詩が「ただ踊るしかあるまい」で終わると、それを合図にピアソラに突入。

30番 中心を見に行く

「私の心もひとつの貧しい中心だ」ということなので、裕児さんのボート一弦琴で、「貧しい」音で対応

50番 冬の耳

私は誰かの指に弾かれて」あたりからカヤグムやアジェン的な音でサルプリ風

79番 リズムについて

ニュー野村さん立ち上がり、宣言のように朗読し去るのを合図に私はモロッコ・グナワ音楽のリズムから入る。ちょうど本でもこのあたりはアフリカやスペインのあたりを扱っている。

合図を出し、音響のマイキーにCDを掛けてもらう。SoNAISH録音の時「海の量感」用に録ったコントラバス8台分の音。海のようにだんだん会場を埋め尽くす。

34番 ヴィスコンティ通り へ切れ目無く続く。スピード感あふれる朗読に、リディアン旋法でかつての自分の音と共演。

第二部は「国語国文学的身体」と題し、さまざまな工夫を施した。

「一帯雪余白」という詩を映写する。この詩は、普通に書いた詩の中の漢字とひらがなを分けて、漢字を上に、ひらがなを下に配置し、さらに余白を充分あけてある。

余白を充分に取った朗読と音。私は「かひやぐら」奏法(楽器を寝かせる)とインドの手風琴。朗読は漢字のみを読んだり、ひらがなのみだったり、お経みたいだったり、かなり普通でない。最後には私も朗読に加わった。

次は「冬の耳」第一部でもとりあげた散文的な詩を映写する。そして、その映写された文字の上に野村さんが即興的に文字を書く。詩を変化させるわけだ。白い小さな紙に文字を写したものを動かしては遊んでいる。そして、書き終わったら映写を止める。と、書き直した・書き足した分だけが残るわけだ。それは、まったく意味をなさないのだが、何かがある、という目論見。前日に私が提案した。即座に採用され、「羊皮紙」のイメージを得た野村さんもノリノリ。

最後に「平滑ロード」スピード感溢れる詩は朗読を想定しているそうだ。始まりの部分で胎内血流音をスピーカーから流す。実に生っぽい音が会場を埋めた。その後、音と朗読のインタープレイで終演。

そのままトークに突入。音+心=意という話から始める。「一帯雪余白」の考え方、ハイナー・ミュラー、カントール、貧しい音、商品にならない大事さ、羊皮紙、ウルトラマンの怪獣達の名前、映画の話、そしてもちろんカツラの話、など楽しいトークとお客様からの発言が相次いだ。詩人には聞きたいことがまだまだある。大概の質問に的確に答えを持っているのはさすがです。

1月の第0回をいれて6回の徹の部屋(広さの都合で座高円寺へ引っ越し公演を入れると7回)の1年が終了。スタッフ、ゲスト、ご来場いただいた皆様のおかげです。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。来年も続行の予定です。私の大事な大事な仕事になってきました。

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