小林裕児さんとのライブ(続々々)

さまざまな共演経験を経る間、ずっと思ってきたのが、ライブペインティング以外での可能な方法は何か、だった。

すでにある絵に音楽を付ける。

音楽を先に作り、絵を描いてもらう。

あるテーマを決めて、同時に作曲、作品作りを進め、発表する。

舞台美術をしてもらい、舞台(ダンスでも演劇でもオペラでも)を作る。

絵本のようなものを作りCDを付ける。

一緒に旅をして、何かを提案しあう。

映像作品を作る。

即興についての対話をまとめる。

などなど・・・・・・・

一番上のものは昨年「朱い場所」という作品に作曲し、ギャラリー椿で演奏、そのライブ録音がCDになった。

そしてその現場にいた斎藤朋さんが、これはおもしろいから、何か始めましょう、ということになり、グループ〈橋〉として発足。長年さまざまなプロデュースに関わってきた朋さんが言うのだから、きっと当事者が気づかないものも何かあるのでしょうし、ライブの制作は本当に大変なことを実感しているので、2人とも大いに納得。この夏、山形・盛岡のツアーを成功させた。で、この「徹の部屋」vol.4はグループ〈橋〉のプロデュースという訳です。

さらに、自慢の「妹」乾千恵さんが、絵画「朱い場所」から物語を作ってくれ、それがまた、すばらしい文章で朋さんを泣かせた。これは、是非、舞台化しようと言うことになっている。また、他の方々からの文章も来るかもしれず、そのあたりから有機的に、そして自然に、進む気がしている。「時」には「ちょうど良い時」という意味があるらしく、焦っても仕方ない。「待つ」ことは千恵さんにたくさん学んだ。

そうそう、今回のポレポレ坐では、新しい趣向をとりいれようと思っています。それは、小林さんの描く紙にマイクを仕込んで、絵筆のさばきの音を増幅しようということ。筆さばきは、画家の個性であり、本質に近い部分であるように思います。音同士の共演という面を強調して見ようと言うことです。これは私としては大いに楽しみ!!

そして、チラシの裏に載せた私の文章はこれ↓。小林さんには大変気に入っていただいて恐縮です。

20年前に画風が大きく変わったのはなんでだろう、に関するまったく勝手な推察           齋藤徹

絵の中で生き物も物も神様もとても美しく歌っていた。

「こんなに美しい歌って本当に私の歌かしら?」ユージさんがビール2杯でご機嫌になって早々と寝てしまったあと、絵の中の生き物たち・物たち・神様たちが話合っていた。一番美しい瞬間をユージさんが固定してしまうので、本人達も戸惑っていたのだ。「この姿勢って疲れるんだよね、もっとだらしない方が楽なんだけどな?」「そうそう、逆立ちとか、時にはいいよね」「必要だよ」「手なんか4本くらいがちょうど良い」「眼もね」「きったない声で歌うとホントは気持ちいいんだよね」「そうそう、スーッとするのよね」・・・・・

トイレに起きたユージさんは偶然それを聞いてしまった。いや、夢の中だったかも?

輪郭を無くしてフワーッ、焦点を合わさずにボーッ、重力を無視してキーン、常識を無くしてドッカン、意味を無くしてラリラリラ? 1年に2枚くらいしか描けなかったのが、1日10枚も描くようになったんだって。

意味や言葉に取られてしまう前に戻せば良いんだ、ユージさんはそう思った。それ以来、ユージさんはいつも微笑んでいる。眼は薄く開いているけれど決して閉じない。半眼微笑。そうしているといろいろな生き物や物や神様や「もののけ」までもが相談に来るそうだ。「こんど、私を描いてくださいな、本当の自分の姿を知りたいのです。ふだんとは違う気がしてなりません。どうかお願いします」と。「よーし、わかった。でもビックリするなよ」。今度は、ユージさんが絵の中の生き物たち・物たち・神様たち・もののけたちを挑発する。

ヒトの身体には「物まね神経細胞」(ミラーニューロン)がたくさんあって、ある動作を見ると、その動作と同じ動きをする自分の細胞も動いているらしい。ユージさんが楽しそうに描いているのを半眼微笑で見ると、私の身体の細胞も描くように動いている。私の演奏をユージさんがチラッと観ると、ユージさんの演奏が始まっている。

そうか、そうならば、今日お集まりの皆様は、私たちを観て、自ら描き・演奏するばかりでなく、ユージさんに描かせ・テツに演奏させることもできるわけですね。さらには、ユージさんに演奏させ、テツに描かせることも。ああ、おもしろい今宵の宴!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です