『蛇たちを夢見て』
1日闘う人たちがいる よい人たちだ
ほかの人たちは1年闘う よりよい人たちだ
何年も闘う人たちがいる とてもよい人たちだ
でも一生闘う人たちがいる
彼らは不可欠の人たちだ
というブレヒトの朗読で始まるキューバの歌手シルビオ・ロドリゲスの代表曲を初めて聴いたのもメルセデス・ソーサだった。「グラシアス・ア・ラ・ビダ」「アルフォンシーナと海」もソーサを通して知った。彼女の訃報を聞き、たくさんのことを思い出す。この間、国歌を録音したという記事も見た。大統領が国葬を決め、遺体は今、国会議事堂にあるという。不可欠の歌手。
聴くだけで背筋が伸びるような声、ミルトン・ナシメント、レオン・ヒエコとのサッカー場でのライブ「コラソン・アメリカーノ」での「この手に大地を」での朗読には意味も分からずアジテートされた。25年前、ブエノス・アイレスに行ったとき、ホテルのテレビで歌っているのを観たショック。来日時のインタビューで「日本では、あなたのような歌が根付かないのですが・・・」に答えて「日本で一番人気のある歌手は誰ですか?美空ひばりさんですか。では、その方に私の歌うような歌を歌ってもらえば良いのです」。それはかなわぬニホンであり続けている。
LP時代に、新譜を楽しみに買っていた。これでもか、と言わんばかりに自分の顔を大きくジャケットにしたものがほとんど。この在り方、自信・・・中南米の音楽の在り方が元にあるのか。ブラジルのテレビ番組「シコとカエターノ」でミルトンとノリノリで歌っているソーサを観たことがある。もちろんシコもカエターノもガルもいる。歌による中南米の連帯。LP・CDには、ほとんど必ずタンゴも入れていた。その選曲・アレンジがすばらしかった。音楽監督を勤めたことのあるレケーナさんがそのキャリアを本当に誇らしげに語っていた。
オスカル・アレム、今はもっぱらピアニストだが、かつては凄いベースでソーサを支えていたし、ホセ・ルイス・カスティネイラ・デ・ディオスもベーシストでソーサの音楽監督だった。音楽をまとめるにはベーシストに任せると良い、と言うことを知っていた?
宮沢賢治の先生に当たる人が「我~が~代〜は・・・」、と「君が代」の替え歌を生徒と歌ったというエピソードが辺見庸のエッセイにあった。快哉!ではあるが、屈折し続けるニホンの歌事情であることには変わりない。タブーや自己規制がこんなに似合う国も少ない。タブー無きがごとく映画を撮り続けるソクーロフ監督はチェチェンを撮り、天皇を撮った。(島尾ミホさんも。)亡くなった岸田理生さんは自分のテーマを「女性史と天皇制」と言い切っていた。
問われている。