オンバク・ヒタム公演には、首都圏の方々以外に、私が把握しているだけで、福岡・広島・岐阜・旭川からご来場たまわりました。何ともありがたい話です。
「妹」だけでなく女性の力を言う時に「妹の力」(いものちから)と言われています。この公演も実に多くの妹の力に支えられて来ました。男どもはただただ夢見がちで、前後の見境がありませんよね。私には血縁の妹はいませんが、自称・他称の「妹」が何人かいらっしゃいます。その中の第1号が乾千恵さんです。
ご存じの書家・エッセイスト・画家の千恵さん。実は、この2週間大変体調を崩されていて、聴覚と視覚が過剰に反応してしまうため、ずっと締め切った部屋でサングラスをして過ごされていたとのこと。音を楽しむなどという状況ではなく、耳栓をして暮らしていたとのことです。その中を押して、大阪よりご来場。早くに宿舎に着き、野口整体の先生に看てもらって、会場に直行されたとのこと。
お客様には様々な事情・状況にあることは重々承知していながら、ふと集客・チケット売り上げ・経済の成り立ち、ということに絡め取られて、お客様を「数」でとらえたりしてしまいます。
一人一人、様々な状況の中、ある時間・ある空間を共にするわけですから、奇跡と言っても良いわけです。そういう様々な状況のお客さまに満足していただけるかどうか、問われていると思うと、身がすくんでしまって何もできなくなりそうです。こうしないと生きていけない、という位の自分の思いの丈を、共演者と一緒にぶちまける、それしかないかと思います。「死」で支えられている「生」でなければならない。命がけのお客様には命がけで対するしかないわけです。
千恵さんは「タンゴ・エクリプス」の演奏を楽しみにしていらっしゃいましたが、前々から言っていた「大事なものを削る」というのが、まさに「タンゴ・エクリプス」だったのです。なんということ。大事なもの、これだけは、というものは、実は、隠れ蓑になってしまい、本人の現在を隠してしまう、命がけの舞台では、隠れ蓑はもってのほか。
賢き妹は、すぐさま、それを理解してくれました。さすがです。いつか、必ずタンゴ・エクリプスを聴かせますね。
公演翌日、やはり夕方まで真っ暗な部屋で静養されたあと、福音館書店から出版された「山からきたふたご、スマントリとスコスロノ」影絵芝居ワヤンの物語より、の出版打ち上げが東中野ポレポレ坐でありました。絵を描いた早川純子さんもいらっしゃいました。福音館の方も含め、皆さん昨日の公演に来てくださっていたので、和気あいあいと楽しい時間を過ごしました。
公演翌日で興奮冷めやらぬ瀬尾高志も、その場で初めてこの絵本を読み、感激。「これって歴史に残る本ですよね」と。
お会いするときは、いつも明るい千恵さんですから、私たちはふと誤解してしまいます。辛いときは2行の校正をして半日休む、というような状況だとのこと。本当に大変なことです。その大変が日常なのですから・・・・・
「すべてが巡礼の旅」というスタンスでとなりの街に行くにも命がけなのですから、私たちの愚痴りがちな甘っちょろい生活とは根本的に違います。
そんな乾さんが、いがいが付きの栗をお土産に持ってきてくれました。文子さん曰く「この子が生まれたとき、8歳くらいまでしか生きないでしょう、と言われて、この栗の木を植えたんですよ。それが今、屋根より高くなりました。」
グラシアス・ア・ラ・ビダ!!