オンバク・ヒタム終了

政権交代の日、オンバク・ヒタム公演終了しました。

多くの人々のお陰さまと言わざるを得ません。

ありがとうございました×1000回+1回

前々日から通し稽古、前日は通し2回(最終回は、泯さん・音響の鳥光さんも参加)、ブログで書いたように、「大事なものを削って」という荒技を使い、75分にまとめました。「これだけは、やりたい」というものを削ることは本当に有効でした。良い経験でした。新たに得た知恵になりました。

一週間前予約60枚で、夜逃げの心配?でしたが、終わってみると、招待・スタッフ含めて乗船メンバー200を超える大航海になりました。大きな赤字は回避できたようです。しかし、このヒヤヒヤ感は、本当に身体によくありません・・・・・・・・まったく・・・・・・・ホントに・・・・・・・・フーーーッ。

黙っていても胃の形がわかるような一週間でした。

演劇用のホールなので、セリフがよく聞こえるように残響が押さえられているため、音響の鳥光さんが苦心されていたようです。百戦錬磨の鳥光組によってこれも1時間強のサウンドチェックで克服。何より、鳥光さんは私の最初の録音「TOKIO TANGO」2枚目の「Coloring Heaven」のエンジニア川崎克巳さんのお弟子さんなのです。川崎さんが亡くなって4年になるでしょうか。ひょんなことから繋がりました。川崎さんの遺品のマイクも2本本日使われているとのこと。照明の田中あみさんは泯さんのお嬢さんですから、何も言わなくても、泯さんが何をしようとしているかが阿吽の呼吸で通じているようです。

あっという間に本番。

小林裕児さんの絵画「朱い場所」のために作った「舟唄」で開始。この船にはミモザが大量にあったり、イアソンの金の羊毛があったりを想像して作りましたが、今日は、アジアからの船出です。さまざまな香辛料、南の果物、繊維、楽器、虫、動物が乗っています。毎日のスコールで洗われた木の香りが立ちます。

急に蜃気楼(かいやぐら)が立ちます。コントラバスは三角形に横に置かれ、三角形の中心に向けて楽器のいろいろなところを弓で弾きます。箏奏者も弓をもったり、ランダムに弦に糸でつり下げられた棒を当てたり。全員が長年楽器の修行で使っていた方法を使わない!ことが大事です。すると、上手になぜか置いてあった布団!を泯さんが引きずってベース三角形に近づいて行きて、あろうことか、布団に入って寝てしまいました。布団に入ったままの前代未聞の踊りが始まります。

高田和子さんのための「糸」がだんだんとユニゾンになり、続く「西覚寺」では、ゆらゆらと上昇する蜃気楼とシンクロして、様々な風景が呼び込まれます。シルクロードやイスラムのマーチまであらわれては、消えていきます。あれは何?と思っている暇もありません。

ここで私が舞台前の泯さんに近づきました。予定外の展開にメンバーのギアが入れ替わりました。そうです。予定通りに行かないのが当たり前。予定外こそチャンス。人生です。

水谷隆子さん委嘱の「for ZAI」一章、高田和子さんの「オンバク・ヒタム桜鯛」、沢井家のための「オンバク・ヒタム琉球弧1」、梶ヶ野さんの三線メロディに韓国の銅鑼で六調リズムを奏でます。六調からクッコリ、オンモリという韓国リズムへ移動、この移動は本当になめらかです。泯さんが月を追う狂人のように舞台を2周します。

幾つかの韓国リズムが続くシーン(金石出・キムデファンのための曲)では泯さんはサルプリのような振り、太鼓が鳴ると踊らざるを得ない動物のようなダンス、さすがです。怒濤のリズムから死を悼むシーン、時の流れが止まったシーンと続きます。時が止まったシーンでは泯さんは舞台を上手から下手へゆっくりゆっくりと移動するだけ、という動作でした。これはすばらしかった。

そして激しい韓国リズムとともに大団円。出し切った楽隊がフッと一息と共に、冒頭の舟唄がゆったり流れます。泯さんもお布団のところに戻り、ひとまず今日の所は、終演。しかし船の旅は終わり無く続きます。

私のコンサートでは滅多にないスタンディングオベーションに見守られ、第一航海は終わりました。

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