東北・北海道に来て二週間あまり、だんだんと健康になっていく。水や空気が良い上に受け入れ先が食事に気を遣ってくれるからあたりまえ・・・・・。今滞在中の場所は旭川の嵐山の裏にある。オサラッペ川をまたいだところのこの山はアイヌの聖山。
アイヌの資料館などを訪ね、古い写真を見ると思い出す人がいる。たとえば熊谷守一。壊れたチェロを弾いている写真、何かを燃やしている写真、来客が増えて困るだろうから、と文化勲章を辞退した生き方。そして舞踏家の五井輝さん。亡くなる前の2作品で演奏をした。山間の稽古場でじっとしている姿や、彫り物などを思うと資料館の写真の中で笑っているのは五井さんではと、幻覚に囚われる。大野さんは釧路生まれ、土方さんは秋田。
座敷童で有名な二戸の金田一温泉にはアイヌの大酋長アテルイが湯浴みしたと伝えられ1000年以上の歴史がある。金田一京助さんと知里幸恵さんも繋がるし・・・。おおざっぱに言えば、大陸系の征夷大将軍が「蝦夷」を追いやって「ニホン」を広げていったのだろうか。沖縄の劇作家・照屋義彦さんの「韓国から日本人が侵略してきて沖縄とアイヌだけが残った」という話とも通じる。
小樽の2日目、小樽文学館へ。吉田一穂の資料は目新しいものもなかったが、となりに展示してあった「左川ちか」さんは、新鮮な驚きだった。24歳で亡くなった詩人。http://soredemo.org/archives_sagawa1.html 北海道出身の魅力的な人をもうひとり発見した。
その晩は、田仲ハル+飯田雅春のユニット「呼吸の行方」にゲスト参加した。田仲ハルさんは「北方舞踏派」出身とのこと。そして、ニセコでキャンプをした奥野さんの家が「北方舞踏派」に場所を提供していたそうだ。全長20メートルの廊下のある古い立派なビル。(↑の写真)一階にはカフェもあり、かつての小樽の隆盛が想像できる。北に吸い寄せられた舞踏集団がここに落ち着き先を見つけた。異形の若者達を応援した小樽の人の大きさもさすが。打ち上げでしっかりと意見をのべている人を見るにつけ、北の人々のふところの広さを感じる。
ニホン人の深いところにある記憶が北へ北へと導くのだろうか。