箏の独自性

身近になるにつれて、おそるおそる箏・17絃にさわってみる。ともかく驚いたのは、低音と高音の位置。コントラバスにせよ、ヴァイオリン、ギターなどは、身体に近い方が低音。身体に近いところからだんだんと遠い方へ高音を飛ばしていく、というイメージが身についている。

ところが箏にせよ17絃にせよ、身に近くなるにつれて音が高くなっている。この差は大きい。低音へ向かって音を飛ばす、高音に向かって身体に迫ってくる、という感覚は私にはない。

自分に向かって高音が迫ってきて、ついには身体に入り、背骨を伝って頭から上方へ抜けていく、一方、低音は、投げ出した先で左右水平に伸びていって大きく大きく周囲を囲み、上方へ抜けていったベクトルが落ちてきたところで円錐状の世界を作る、と言う感覚だろうか?

他の楽器奏者が、『願い』を外に向かって問いかけるのに対して、箏奏者は、世界の中心にいて、『願い』を投げかけられない。完結した世界に居るしかない。その代償として、奏者が楽器の一番いい音を聴くことができる。ヴァイオリンはその逆に、耳元で鳴る音と聴衆が聴く音をアジャストしなければならない。コントラバスだって自分の出す音を、そのまま聴くことはできない。すなわち「聴く人」を想定しているわけだ。

もう一つ大きな違いは呼吸。息を止めて音を出すという。この発想もビックリした。私たちはどうやって自然にそして深く呼吸をしながら、そしてそれを意識せずに、音を出すかと言うことを目標にしている。息を止めることは禁則。息を吐くことを意識して、吸うことは自然に任せる。

息を吐くこと、それは、声を出すこと、しゃべること、呼ぶこと。「音楽をすることは、誰かを、何かを呼ぶこと」という考え方が成り立つとすると、息を止めているということは、外とのコミュニケーションを初めから想定していないのか?もっぱら自分自身に問いかけるための音?盲目の人たちによって発展してきた歴史と関係があるのか?

『違い』は考えたり、ものを作ったりする時の『きっかけ』になる。わからない時も、そのままぶつけてみて、違いを認識する。そこにヒントが隠れているはずだ。

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