私は忘れていたが、栗林さんの話だと、その最初のセッションで、すでに、私はコントラバスを横にしていた!そうです。げに、人というものは、一つのことをやる、それを人生をかけて、気づかずに、繰り返していくものなのでしょうか・・・・
このセッションの後、クリさん(栗林さん、と言うより楽なので・・・)の初リサイタルへの出演を依頼される。昭和から平成になる時期。それ以来、クリさんはリサイタルをしていないので、どれだけ大きいことだったか、今ようやくわかる。プログラムに、昭和天皇崩御のことが書いてあり、「なるほど・・・そうか、邦楽の人というのは、天皇制度に近く・親しく居るものなのだな。」などと思ったくらい、邦楽界のことを知らなかった。実際は、私たちと同様の距離で天皇のことをとらえていて、妙にホッとしたという笑い話。この時、デュオで完全即興をやった。それが、当時の邦楽界でどれほど奇異なことだったか、今思うと、ぞっとする。ちなみに私にとっては今より普通のことだった。今ならなにか作品を書くのだろうか・・・
私も、クリさんに録音を頼んだ。ちょうどバール・フィリップスさんの初来日。間章さんが何回も企画したのだが、実現せず、この時にはじめて豊住芳三郎さんの尽力で実現し、来日中だった。どこか遠い憧れだけの人が目の前にいる。そして駆け出しの私を、一人前に扱ってくれている。即興演奏というものが、エリート達だけのものではなく、すぐれて自分の中の問題であることを、この時期に実地で教えてもらった。とてもありがたいことだった。
新横浜でのセッションでは、高柳さんも体調次第では、参加の予定だったが、これは実現しなかった。荻窪から湯河原へ移住した大成瓢吉さんが、空中散歩館オープンの前、レコーディングセッションが実現。「 Coloring Heaven 彩天」(AKETA’S DISK AD-27CD)と名付けられたCDになった。わたしの初録音「TOKIO TANGO」そして、この「COLORING HEAVEN」を録音してくれた川崎克巳さん、そして大成瓢吉さん・高柳昌行さん皆鬼籍。今でもよく演奏する曲にバールさんが「invitation」と名付けてくれた想い出のセッションだった。
クリさんとしては、仲間内で騒ぐ時だけにやっていたハチャメチャ即興演奏を、大まじめに、いい大人が、西洋人も一緒にやっていることが驚きだったのだろうか。イヤ、そうでもあるまい。もともとこういう音楽の成り立ちを随分考えていたはずだ。ある曲の録音に際して、私たちに調弦を頼んできた。単なる偶然性よりも、物語が複雑になる。小林裕児さんが、よく、最初にダンサーに好き勝手に描かせてから自分で描くのに少し似ている。自分の思ったとおりしてもつまらない、その場に賭ける度合いを高めたい、というトピックだ。
また、ある曲では、途中で、衝撃音と共に、箏柱が全部倒れてしまった。もう演奏不可能なのだが、それでも演奏を続ける。今、思えば、即興演奏の心得として、相当進んでいたわけだ。
クリさんほど17絃を軽々と弾く人はその後も出会っていない。17絃とは、宮城道雄さんが考案した低音用の箏だ。もっぱら13絃の普通の箏の伴奏用に考案されたのだが、一恵さん、クリさんは17絃を自分の主要な楽器として演奏を続けており、考案者・宮城さんの想定した世界を完全に超えているのではないか。(宮城さんはどんどん弦を増やしていって、最後にはグランドピアノ型の88弦!まで作ってしまったのであるが。)
こうして、私の箏との出会いは、沢井箏曲院の優れた人たちだった。世間の水準から言って、実はメチャメチャ上手かった。それが当たり前と思っていて、他の演奏に唖然としたことがあった。「カンカーン」とでも表すしかないような硬質な響きから、世界中の民族楽器に遡ることのできるようなシンプルな力強い音、上下する大きなビブラート(音程を低くするビブラートには驚く)、一音成仏のような緊張感、どれも新鮮だった。また当時は、一恵さんが、外国の大学に箏のクラスを開くように、人材をどんどん派遣したり、みずからも、箏アンサンブルを率いて世界中を精力的に回っていた時期だった。新しいことにとてもオープンで、なんでも取り入れようとしていた溌剌たる時だったことも私にとってラッキーだった。
17絃の音質は何ともコントラバスと相性が良く、ちょっと無理して弾く高音も似ている。弦の太さがほぼ同じ。不器用なようで、しかしある場面では、妙に小回りがきくところも似ている。音量も、ほとんど同じ。運ぶのに苦労することも同じ。ともかくその単純な構造から来る長所と短所と、その振幅は実に魅力的だった。私自身が「「西洋楽器』を弾いている」というどうしようもない問題を、いくつもの鏡となって照らしてくれるとの直感。自分の生まれた場所の音楽を伝統に持っていることへのうらやましさ。日常話している日本語と音楽のこと、そして、クリさんのような奏者と知り合えた幸福。
さらなる共演が続いていく。