サプリ

ビタミンが必要だと言われ、せっせとビタミンサプリメントを飲む。多ければより良いのでは、とたくさん摂ってもムダ。一定以上は、排出される。それどころではない。本当に恐ろしいのは、必要以上に身体に入ってくると、身体が持っているビタミンを作る機能が衰えてしまうことだ。食物からビタミンを抽出して、身体に取り入れる能力が低下してしまう。メラトニン(若返りホルモン・時差に効くという)の大量摂取による害も聞いたことがある。

その構造は、タンパク質など他の栄養素も同じだ。肉を食べなくては元気が出ない、と肉を食べても、その栄養素を吸収する能力のことを考慮しないと、見当違いに終わる。栄養的に、タンパク質を何グラム、ビタミンを何グラム、ミネラルを・・と処方されても、すべてはそれを吸収する能力にかかっていることを忘れてはならない。吸収する能力とは、生命の記憶と生活環境によって決まる。ごく少量しか得られない環境にいても、それを必要な量に変換させる生命の記憶があるということだろう。

とある南の島に住む人は、虫を食べてもタンパク質を充分に吸収できる能力があるそうだ。いくらビフテキやとんかつを食べても、タンパク質として吸収できなかったら、ヒトが生きていくため必要なものにならなかったら、ムダ。

何かに似ている。やっぱり「音」か。

「効果」とは「本質」を削ぐもの、と書いたことがある。それと同じくサプリメント「補完」するとは、勝手な思い込みで、その場しのぎで「補完」をしている間に、大事なものがソッと逃げていく。

効果や補完とは、ヒトは「死ぬ」ものであることから目をそらすことに近いかもしれない。

効果的にデコレーションすること、それは「楽しい」のかもしれない。「楽しい」とは「死」を見ないで良い時間のことか、「死」を忘れることのできる時間ということか?

ちがう「楽しさ」もある。 すぐそばにある。忘れるのではなく、知らなかったことを思い出す「楽しさ」。

寂しい音でもかまわない。小さな音でも、聞こえなくてもかまわない。

何のための音?何処へ向かっての音?

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