一穂と海童道と高柳

吉田一穂と海童道と高柳昌行

なんとも、不思議な取り合わせだが、今の私にとって、ある共通項が見える。

作品の厳しさと、ふと見せる人間っぽさの対比。吉田一穂の詩の厳しさと童話の暖かさと、対談でのべらんめえ調の毒舌。笑顔のすばらしい人だった、と言う多くの証言。海童道の幾多の伝説(国立劇場舞台でわざと寝たとか)と一度生前にお目にかかったときの話しぶり。(雨の日などは、朝早くの修行がめんどうでイヤだ、とか、警官の職務質問にあった話とか)そして、LPレコードの解説の文章などは見事で過激なアジテーションになっている。高柳さんの厳しい文章、厳しい批判精神と日常のお茶目な「だじゃれおじさん」とのギャップ。

三人とも気分が乗ったときはよく話したのだろう。高柳さんとのデュオがたまたま8月15日(アケタの店の土曜の昼)にあったとき、戦争の話になり、第一部は全部話。第二部もほとんど話。最後に申し訳程度にちょっとだけ演奏した記憶がある。

「人を惹きつける人は、自分の弱点をさらけ出す」と聞いたことがある。カリスマ性の要素でもあるだろう。硬派ということもあるかもしれないし、今あまり見なくなってしまった「おっかない厳格な父性」なのかもしれない。充分過ぎるほどユーモラスな日常は、作品の表面からは見えない。

作品に関してもう一つ言えば(海童道は作品という意識さえ無かったかもしれないが)、「詩はモノローグ」と言った一穂に端的に表れるように、三者とも読者や聴衆を相手にしていなかった面が強い。「絶対」に対する確信、あるいは願いなのだろうか。ともかく、揺らいだ形跡は皆無だ。そのためだろうか、三人とも「しるし」となって、ぶれずに輝く。「あの人ならどうしただろう、どう思うだろう。」という指標になり得る。

貧乏が「恥ずかしいこと」のようになってしまって久しい。「人並み」であるためのお金を持っていないのは、恥ずかしいことだとしらずしらず思わされている。この三人とも「我関せず焉」だったと聞く(少なくとも外には)。自分の作品が「商品」として商品価値のみで評価されるのは、何時だって誰だってつらい。「それじゃ、まあとりあえず〜〜しておいて」がだんだんと「だってしようがないじゃない」に繋がっていくのは怖い。そういう状況で、我関せずに仕事に集中して、その質を高める、少なくとも保つのは大変なことだ。

私がよく「今・ここ・私」と言って、「今でなければ・ここでなければ・わたしでなければ」できないことをやろうという指標をだしてくるのは、「ぶれている」自分への正当化・言い訳なのか。常に変貌する「今・ここ・私」を指標とすることは、「だってしょうがないじゃない?」と言って「絶対」から逃げているのか。

かく言う私の経済現状は、徐々に逼迫してきた。 そんなとき、いや、そういうときこそ、こういう先達の後ろ姿をまぶしく、しかし、しっかりと見据えなければならないと自分に言い聞かせる。さて、どうしよう。

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