近所で家が立て続けに解体されている。学校法人が土地買い占めを続けている。そんな一軒からクリーム色のコントラバスが何日もうち捨てられたままになっている。解体業者の人たちにとっても、粗大ゴミの中に入れづらい、願わくば、誰かが持って行ってくれないか、というという想いが胸をかすめるのだろうか?前日までは保護されているように、壁に立てかけられていた。
大きさから来る現象だろうか。小さい楽器なら知らぬ間にその他のゴミにまみれてパワーショベルでトラックの荷台に載せられるだろう。今日も、新しい持ち主を待っているのか。通る度に私の心は苦しい。しかし、私のアパートにはもう余地が無い。
チャールス・ミンガスのドキュメント映像「Triumph of the Underdog」(ミンガスには「負け犬の下で」という著作があり、それに引っかけた題名だろう。)のワンシーン。ミンガスが学校にしたくてキープしていたアパートを追い出され、全荷物を強制的に持って行かれるシーンがある。その時も、雇われた引っ越し業者が、ベースだけは、持って行かなかった。行けなかった。
ちなみに、この楽器は、レジー・ジョンソンの手に渡った。ミンガスの死後やっと演奏された大作「エピタフ」でエドウィン・シュラー(ガンサー・シュラーの息子)と共にこのベースが弾かれていた。私は10年以上前、スイスのコントラバスショップで彼に会った。アメリカでは無理なので、スイスに住んでいると言っていた。その後、彼とこの楽器はどうなったのだろう・・・・
大きいと言うことだけで異形になる。ヒツジが大きくて「美しい」。鯨や象もその大きさで仲間の動物には恐れられ、ヒトの子供達に好かれる。
このクリーム色のコントラバスはどんな生活があってどんな音楽を奏でたのだろうか?
戦後の寄せ集めジャズバンドでは、ベースは「立ちん坊」と呼ばれ、弾かなくても(弾いても聞こえない?)楽器を持って立っていれば仕事になったそうだ。人気楽器のギターをどうしても上達できない人がベース担当になった例は多い。
そういえばビリー・バンバンというフォークソング兄弟デュオのベースが白かったかな。「白いブランコ」(白い=ブランコ、チゲ=鍋、フラ=ダンス、という不思議な日本語の仲間、ここでは関係ないですね。)とか歌っていたような記憶があります。
ともあれ、コントラバスという楽器は、威厳ある大きさと形を持っているのに、それに見合う扱われ方をされていないことが本当に多い。弦楽器店では、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロまでを扱っているところが大多数、楽器製作者もチェロまでの人が多い。その反面、弦の値段は5〜10倍、移動が仕事の半分というくらい大変だ。
録音スタジオではベースと言えばエレキベースのこと、コントラバスは「特種楽器」のジャンルになって久しい。たまにバイトでスタジオに行くと、低音が出すぎ、と低音カットされる。
街を楽器を運んで歩いていると、「パパ、あのでかいの何?こわい。」「大きいギターよ」とママ。「ものを知らないな、あれはチェロだよ」とパパ。
娘が、けなげに「徹の部屋」のチラシを配っていたら「まだこういう楽器があるのですか?」だと。
なにより良いベース音楽を創るのが一番。わかってま。
そんな願いを込めて「徹の部屋vol.2」5/29 東中野ポレポレ坐。当日料金より500円安い前売り予約ありまっせ。