「徹の部屋vol.2」のチラシを見てモケラ峰子さんがノルウェーの絵本「三びきのやぎのがらがらどん」を教えてくれた。保育所・幼稚園等の現場で絶大な人気だそうで、「となりのトトロ」にも登場する有名な絵本とのこと。早速、読んでみた。
目つきの悪い?三匹の山羊が「ふとろう」と山に行くのだが、途中の橋(トラベシア?)でトロルに狙われる、しかし、最後にはやっつけて「ふとりに」行く。目的を遂げた山羊の目つきが悪いこと!勧善懲悪ではなさそうだし、その逆でもない。何かよく分からない、という印象。最後に「チョキン、バチン、ストン」という擬音があり、もしかしたら山羊にも報いがくる暗示かと思って現場のモケラさんに質問する。
擬音が面白く、やっつけたり、やっつけられたりのドキドキの場面が幼児の心をつかむ。「チョキン、バチン、ストン」は、これでお話はおしまい、という合い言葉のようなものとのこと。ふむふむなるほど。とりたてて深読みはない。
気軽に読むことさえ断固拒否する吉田一穂の詩。徹底的に削ぎ落とされた言葉は、ついに漢字一文字になったりする。そんな一穂には、かなり多量の童話がある。童話と書簡で全集の一冊になっている。それは、ほとんどひらがなだけだったり、カタカナだけだったり。
そのなかに「ひつじ」ものがあった。
「ひつじかい」が道に迷った「らくだかい」に道を教える。助かった「らくだかい」はお礼をどっさりあげるから、この先も道案内してくれるよう頼む。ひつじを残して行くわけにはいかない、と断る。では、ひつじを全部買うからお願いするとの提案に「わたしは、ただ おかねに かへるだけの ことで、ひつじを やしなつて いるのでは ありません。つぎつぎへと、ひつじの あたらしい いのちを まもり そだてて いくために、こんな ところででも たのしく くらせるのです。・・・・・(略)」と断る。
「・・・・おまへさんの ことばで わたしたちも げんきがでた。・・・」とさらにお礼をしたいと言うと、「わたしの はたらいて いる この はらつぱでは、つのぶえと つえと けごろもが いりようです。そのほかの ものは ぜいたく ですよ。」と言ってにっこりわらう。(原文の旧仮名遣いが表記できていません。)
この童話は、私にも伝えたいことがよく分かる。一穂は次のように言う。
「子供には難しい」といふ、表現と内容を混同した批難の裏に、無意識ながら求めている低調な、その通俗性からこそ、かへつて子等を護らねばならないばかりか、むしろ感性的に純粋で、且つ美しく豊かなものであるならば、たとえ内容が高次のものであらうと、面倒をはぶかない親心をもつて語る表現の如何によつては、子に感銘を与へぬことはない、という確信が、私の経験からこたえられます。・・・・「微笑母子像」より (原文の旧仮名・旧漢字の表記ができていません。)
この二つの事例は、何かを創るにあたって、考えねばならないことを多く含んでいる。
とりあえず、「徹の部屋vol.2」5/29 どうぞよろしくお願いします!!!