オンバク・ヒタム(9)

釜山近郊の漁村でのクッ(祭り)に参加したときの、金石出さんと沢井一恵さんと。

沢井さんの内弟子にMという人がいた。「エイっ」と、気合いでテレビのスウィッチを入れてしまう。その人に「徹さんの左肩に、小さな韓国人のおじいさんがいて、複雑な韓国リズムをやってくれって言っています」と言われた。そんな話を「なるほど」と思うくらい韓国に入り込んだ時期があった。(そのおじいさんは、2年後にはいなくなったとのこと。)

その話を本当とすると、そのおじいさんが来たのは、おそらくピットインでの金大換さんとのセッションだろう。ピットインの名物マネージャー龍野さんから電話があり、是非にやってほしいという依頼だった。まだ紀伊国屋の裏にあったころだ。「韓国音楽なんて知らないし、なんで私なの?太鼓とベースだけ?」とほとんど乗り気はなかったが、龍野(別名カイブツ)さんを信頼していて、彼がそこまで言うならと渋々出かけた。

現実感のない時間が夢のように過ぎた。その頃の金さんは、微音を追求していたころ。ゲストで参加したカン・ウニルさんのヘーグム(2弦の楽器)がグイグイと迫ってきた。自分がちゃんとした演奏ができたという印象は皆無。覚えていないのだ。

あれは何だったんだろう、という日が続く。やむにやまれず、金さん、カンさんを招聘していたところを探り当て電話をした。そういう積極的な行動は私にとって、大変珍しい。そこから韓国との蜜月時代が始まった。

ウニルさんとはその後、「ユーラシアン・エコーズ」の第1回目のコンサートにも来てもらったし、その10年後くらいにカン・テーファン、ミッシェル・ドネダとのセッションを仕組んだときに再会する。

そして金さんも日本に来てもらったこともある。彼がフリージャズの方向に、私が韓国伝統音楽の方向に行く、ということで接点が無くなってしまった。しかし、一回りしていつかきっとまたあえると思っていた。が、金さん亡くなってしまう。その追悼コンサートがFM東京ホールで有った時、私は迷わず、箏アンサンブル「箏衛門」を誘い、私の曲「ストーンアウト」を演奏した。私の娘などは、このときの演奏が私のベストだと言っている。http://www21.ocn.ne.jp/~bigtory/face/face.html

そして、7月のポレポレ坐徹の部屋vol.3は、その「箏衛門」のメンバーの中から結成された螺鈿隊http://www.radentai.com/なのだ。

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