
それこそ柳田国男「海上の道」や折口信夫、はては角川の「野生号」まで、黒潮に何かを託した人たちは多い。ネット検索しても膨大な数がヒットする。多くの学者がそれぞれの分野で研究を続けている。
私のやりたいことは勿論学問ではない。「表」日本・「裏」日本と言ってしまう感覚はどうも変だ、何でもトーキョーに集中し、そこから欧米に向かうという図式はもう破綻している、という感覚が元になっている。黒潮も南九州に流れ着いた後にこそ興味がある。
珍島シャーマンの儀式で見た洗骨と沖縄の洗骨伝統は繋がっているのではとか、ねぶた・ねぷたの持つ祝祭性、アスベスト館の関係で経験した秋田西馬音内音頭の神秘性、岐阜大久我教授から聞いた「おわら風の盆」などが所謂「ヤマト」の感覚と違うのでは、という感覚。そしてたまたまインドネシアから稚内への海流周辺を訪れ演奏した経験から、ここに、トーキョー→アメリカ・ヨーロッパではない力強い可能性があるのではという幻視。
過去の経験を無理矢理まとめているのではという危惧も無いわけでない。
どうしても馴染めない大学で「韓国語」を取る。適当な教材もあまりない時だ。冬ソナやヨン様がもたらした韓流ブームの今から見ると雲泥の差。韓国へ二回行く。下関・釜山をむすぶフェリーに国鉄の学割が使えた。夜間外出禁止令(外国人は例外だが、なにもできない。)、夕方に街中で国歌が流れほとんどの人が立ち止まる、映画館でも国歌で起立、日本人の政治活動家が逮捕され帰れない、金芝河は牢、尹伊桑はベルリンで帰化、事実戦時下という感じだった。
「ナラ」が国、「ハナ」が一、「ペコペコ」も「モグモグ」も韓国語。神社の巫女さんの装いはチマ・チョゴリだよな、タバン(喫茶店)で甘いネスカフェを飲みながら、伊藤博文の千円札を持っている自分の立ち位置が分からなくなる。私が日本人と分かると日本語で怒鳴ってくる人もいた。シンサヨクの人たちはここで何ができるのだろう、など考えた。
九州に帰り着き、ジャズをやっていた歯科大の親戚(パラグライダー事故で亡くなってしまった)たちとしばらく遊ぶうちに、ベースでもやろうかなと思った(ように思う)。
