湯河原「空中散歩館」の大成瓢吉さん・節子さんの次女、恵さんの個展が新宿紀伊国屋画廊で行われています。この画廊は瓢吉さんの想い出の画廊です。「跡継ぎ」のような恵さんの個展です。お時間がありましたら是非に!
大成 恵個展
2009/02/26 – 2009/03/03
10:00 AM – 6:30PM(最終日 6:00)
紀伊國屋画廊・新宿本店 4 F
地下鉄丸の内線・新宿3丁目駅 B7/B8 出口
電話 (会場) 03-3354-7401
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引き続きペソアです。
例のくだり、他の和訳書ではこうなっていました。
「わたしは何ら政治的志向や社会的志向を持ちあわせてはいない。しかしながら、ある意味で高度に愛国的な感情を持っている。わたしの祖国はポルトガル語という言語なのだ。個人的に深いな目に遭わされなければ、ポルトガルが侵入されようと占領されようと、何らわたしは悲しむことはないだろう。しかし、ひどく書かれた文章を憎む。ひどいポルトガル語を書く者や、統辞法を知らない者、単純化した正書法【1931年、簡略化された正書法が法律により定められた】で書く者に対してではなくて、そう、ひどい文章の頁をまるで人(ペソア)そのもののように感じ、間違った統辞法を殴打すべき人のように憎み、適切でない正書法を、吐いた人とは無関係に直接わたしに吐き気を起こさせる痰のように、本物の憎しみで、わたしの感じる唯一の憎しみで憎む」(新思索社「不安の書」 フェルナンド・ペソア 高橋都彦 訳)
むむ、なるほどね、と思ったところ、もうすこし複雑であることが分かりました。
この発言はベルナルド・ソアレス(ペソアの異名)のものとして考えた方が良いということなのです。「詩集『メッセージ』の説明」で「国家はそれを構成する個人の生きた合計であり、その領土を構成する石や砂の集積でもなければ、その語彙や文法を構成するばらばらになったり結びついたりする単語の集まりでもない」とペソア自身が断言しているということです。
ペソアは幾つかの名前を使って文章を書いていました。ソアレスはペソア自身に一番近いとされていますが、こういう差がでてくるともう複雑で困ってしまいます。これ以上深入りしますまい。
尊敬する音楽家Tさんの著作を読むときも、ペソアを読むときも、その天才の「憂鬱」が伝染しないように気をつけなくちゃいけません。人間の出来が違うのですから。