あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か?(ここでいうデモクラットとは、アメリカ的自由主義者と読み替えた方がわかりやすいというのは池澤夏樹さんの説)というレジス・ドゥブレの問いかけは、今の日本の状態、世の中の成り立ちを読み解くのにとても刺激的だった。(「思想としての共和国」みすず書房)そして実際、世の中の見方がわかりやすくなった。
フランス人インテリはこういう問いかけが好きなのか、ル・モンド・ディプロマティーク日本語電子版(http://www.diplo.jp/)2009年1月に、「きみはアナーキストか、それともリバタリアンか?」という論文が載っている。(http://www.diplo.jp/articles09/0901-3.html)(社会学者ジャン=ピエール・ガルニエ 著、にむら じゅんこ 訳)にむらさんは「パリを遊びつくせ!」(原書房)とか「ねこ式 フランス語会話」(三修社)などでお馴染みの方だ。
フランスの現代政治思想史に詳しくないためによく分からないところも多かったが、いろいろと派生して思うことがあった。グローバリゼーションが勢いを増し、オルタナティブが消失。ブッシュの「我々の側に立つか、テロリストの側につくのか?」という挑発的で誘導的な問いかけを理由に多くの場所で法律が改変され、お金の分配が強引に行われてきた。
アジアには伝統的にアナキズム的な考えがある。権力などに関せず、自然と共に生きていく。「ぼくは精神が好きだ」と溌剌と書いたアナキスト大杉栄は仏典のフランス語訳のバイトを後藤新平・東京府知事からもらい、歌や踊り、演劇を愛していた。彼に手を下したと言われている甘粕正彦も音楽・映画が大好きだったという。大杉と少しおなじ匂いをもつ小熊秀雄もコミュニストの烙印ゆえに矮小評価されている。
私の祖父が通った上海の東亜同文書院(外務省管轄)の卒業生の中には、日本軍のために働いた人と共に、中国のためにあえて日本の敵になった人もいたと言う。右も左も、アナもボルもないアジア的な大きな考え方は今後の力にならないのだろうか。
現実の日本の政治をみると、自由民主党こそが「リベラル」で、左右のバランスを取って政権を維持してきた。時には社会党を取り込み、公明党と連立する。左翼が善で右翼が悪、というようなミーハーな雰囲気さえ利用している。
卒論のために右翼の本をよく読んだ時期がある。竹内好・松本健一さん達の本も役に立った。自民党が揺れている現在、彼らがこれからどこを引っ張り込むのか。とにもかくにも、戦争への道を妨げるには何をすればいいのか。「だってしようがない」と言う状態にしないために。
それにしても、革命を経て政治を変えてきたフランスと日本の政治の差は大きい。人々が政治の話をする時間の差が大きすぎる。無力感ゆえにそうなってしまっている。