歌える歌を作りたいと言ってだいぶ経つ。ほんの少しずつ始めている。気になるのはやはり日本語のリズム・抑揚とメロディの関係。そのあたりを勉強したことがないので、進まない時がある。
日本語がうまく乗っているメロディというのを思い浮かべてる。もちろん私は熱心に聴いているわけではないがなかなか無いようだ。自分のわずかな想い出でだと、野口雨情さんなどの童謡の後は、榎本健一、クレージー・キャッツになってしまう。メロディに乗った日本語どころでなく、うつくしい日本語の話し言葉もなかなか聴けない。(この夏、五味川純平さんの朗読をした加藤剛さんにハッとした。)
この半年くらい、娘が高田渡のCDをよくかけている。伝説の多い人だが、気合いの入っている時の演奏はなかなか凄いものがある。私は、小学生の時がまさに新宿西口フォークゲリラの時代だった。近所に住んでいたこともあり、興味本位で現場に行ってみると、「歩いてください、歩いてください」と警察官に押されたり、「私の詩集を買ってください」という少女がいたりなどなどを思い出す。そして、何人かのフォークのスターたちがいつのまにか芸能界に入っていくのを、エッと思いながら眺めていた。
30年以上前に録音された「唖蟬坊は生きている」というCDを聴くと、添田知道、小沢昭一、島田省吾、坂本ハツミ、榎本健一に混じって高田渡が入っていて何の違和感もない。晩年と同じ歌い方であることもビックリ。
その高田さんがずっと歌ってきたのが山之口貘さん。歌のために書いた「詞」ではなく、「詩」なのだが、それを北アメリカのカントリー、フォーク風の音楽に合わせて歌っている。それが、不思議なほど違和感がない。だいたい長調なのも良い。貘さんの飄々とした作風にあっている。大工哲弘さん(貘さんと同じウチナンチュ)と共演した「生活の柄」(沖縄録音)は、二人とも良い。
ポルトガルのフェルナンド・ペソアの詩を完全にボサノバにして歌っているCD「ドイス・エン・ペソア」(ヘナート・モタ、イ、パトリシア・ロバート)を聴いても、良質のブラジル音楽にしか聞こえない。第一、楽しそう。
榎本健一さんは、日本の音曲に乗ったものの他に、完全な西洋音楽に乗って日本語を歌うのだが、ハッキリ・くっきり聞こえるし、なにしろ可笑しい。(土方巽さんとエノケンは交流があったと、亡くなった元藤燁子さんに聞いた。不思議な感じ。)
上回る動機があれば、きっと届く。まず、動機を磨き、数を作ることか。