本当に何なのだろう。(前世の因縁か?)私の仕事の多くが美術関係だ。前にも書いたが、美術、ダンス、お寺関係で非常に多くの仕事があり、今日も銀座の画廊「悠玄」での二回目のソロ。
前回は地下の部屋。ここは秘密めいた雰囲気があり(実際、三島由紀夫の楯の会の集会にも使われていた。)その上、アフリカのシンプルで力強い木製のベッドやベンチがあり、なによりもその時の個展がフェルト作家の石田百合さんだった。彼女が幻想的な巨大ないのちの花を作り、アフリカのベンチに飾り、その前で演奏した。地下の持つ独特の集中力と聴衆の集中で凝縮するような演奏をした覚えがある。
今日は、一階の白い壁、明るい照明、展示は105名の作家による多くの作品(20㎝×20㎝以内という制約のみの自由な作品群)が飛び回っている。いきおい演奏は全く変わってくる。新CD「朱い場所」の中から3曲(ソロで弾くのは初めてだ)、ショーロ、タンゴ、西覚寺などを演奏。あっと言う間に一時間が過ぎた。
わいわいと残った聴衆が輪になり、歓談。知らなかったこととはいえ、今日の聴衆の多くが展示している作家さん達だった。どうりで、音がスーッと流れていったわけだ。スーッと流れ、そのままフリーインプロにいつでも行ける、少しかすめて帰って来るという感じだった。(もっともっと行けると感じたので次回があればどんどん行こう)つくづく私の演奏は聴衆が創っていくのだなと再確認。
みなさんの感想が、作家さんだけに、ご自分の仕事に引きつけて言ってくれるので非常に興味深かった。普通の美術作家達に加え、普段美術作品を発表したことのない建築家、編集者、(私の娘さえ)少数だが参加している。そのこともこの会に何かを与えている。
それにしてもみなさん、簡潔に、ウィットに満ちたコメントをしてくれるものですね。感心しました。それもこれも今回もプロデュース(展示もライブも)してくださった佐藤省さんの磁場だったのでしょう。
銀座に向かって、楽器車で移動するとき、特に皇居周辺の渋滞には、本当に辟易した。しかし、こういうライブが可能であることがトーキョーに残された数少ない良い点だ。