大分旅日記3

「天井桟敷」で皆で朝食。タンスのようなスピーカーの前で別れの日の会話を楽しむ。朝はグレゴリオ聖歌がかかっている。中谷さんも途中で参加。熱烈に所望していた千恵さんの「汀」が晴れて亀の井別荘に行くことになりテーブルは盛り上がる。と、たんぽぽさんが別府から友人と迎えに来てくれる。

タンポポさんは大阪・船場でITAN-Gというギャラリーをやっていた。中庭のしゃれた古いビルにあった。大阪の粋と力を大いに感じたビルだ。連日連日一人で運転し、ソロをしてという厳しい関西ツアーを頻繁にしていた時で、ITAN-Gに行くと疲れが取れ、リフレッシュできた。ここではソロや久田舜一郎さんとのデュオが多かった。

その後、船場を離れ、千林(ダイエーの生まれた街)の大正時代の長屋で「やどかり御殿」というギャラリーを始めた。大阪のおばちゃん達のエネルギーが満ちあふれる街。ここでもソロ、井野さんとのデュオがあったが、鈴木昭男さんとのデュオが思い出深い。突発性難聴で入院、結局、治らずに退院したすぐ後だった。これから演奏活動ができるのか、不安のさ中だった。新幹線のトンネルでさえ耳が痛み帰ろうかとさえ思う。ままよ、とやどかり御殿に着き、楽しみにしていた鈴木さんとのデュオをやった。思えば、この時に、千恵さんが来てくれていたのも偶然ではないかもしれない。

かつて、千恵さんが朗読をしていたころ、水上勉さんの劇場でのパフォーマンスで鈴木さんとは共演していたという。劇団「態変」の福森さんも客席にいて、「態変」の機関誌へのエッセイを頼まれたのもこのときだった。退院後の初仕事もなんとか無事終了。とてもほっとしたのを昨日のことのように思い出す。翌日は琵琶湖ホールで黒沼ユリ子さんのアンサンブルでクラシック室内楽、翌々日は京都市内の古い病院の待合室でのソロという全くちがう演奏内容だった。この小ツアーをとにもかくにも完遂できたことがとてもおおきかったし、なにより人の情けが身に染みた。

話を戻す。そのタンポポさんが迎えに来て別府へ行く。千林も引き払って、別府へ移住したことは知っていた。なんとか連絡を取ろうと思ったが情報が無い。インターネットの検索で何とかある喫茶店が引っかかった。そして、その喫茶店で仲間を集めて小さなホームパーティのようなライブが実現した。

自分のオリジナルを中心に演奏。楽しいときだった。

と、こう書くと普通のツアー日記だが、生活というものは様々な局面と時間を持つ。信じられない成り行きでお子さんを亡くした方、重い病気にかかってしまった方らが手伝ってくれていたことを知る。そういう人たちの生活・想いに持ちこたえる演奏ができたろうか?

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