いろいろとご意見をいただき、スケジュールのこともあるし、継続してページを続けることにしました。4 月26日は横濱エアジンでインプロ音楽祭の初日にソロをやります。またこの日は、高崎で群馬交響楽団のコントラバスセクション8名のコンサートがあり、私の「タンゴエクリプス」を演奏する予定。これ見たいな〜!クラシック奏者8人用にアレンジし直しましたが果たしてどうなるでしょう?札幌の「漢達の低弦」とは全く違う響きになるでしょうね。
さて千恵の輪トリオに話を戻して・・・・
ラティーナ誌5 月号に森田純一さんがポレポレ坐でのライブレポートを書いてくれています。数少ない?信用できる音楽ライターです。あの空間の様子を演奏者側と同じように捉えてくれていて嬉しかったです。そればかりか、「千恵さんの絵の中の踊り子がひらひらと踊り出した」と書いています。客席で見たかったな〜。
ポレポレ坐がジャンの初日。最終演目の「ブエノス・アイレス午前0 時」でただ歩くという行為のダンスをやってくれないか?と開演前に頼みました。前日までのリハーサルではこの曲では踊らないと言っていましたが、最後の曲だし、歩くだけというのを観てみたかったので頼みました。もちろん伝説となった土方巽さんの「アメイジング・グレース」での歩行の話は知っています。でも全く違うアプローチになるだろうし、是非と頼みました。すぐさま私の意向を分かってくれ実行してくれました。これがこののちの公演の恒例となり、楽しみの一つになりました。
2 日目、スペースフーでの変化は「ムエルテ」でした。このあまりにもダンスにはできすぎの曲に対してはかえって苦労していたようです。横たわった姿で時に手で鼓動をなぞったりしていました。横たわるとダンスが見えにくい会場が多かったので、初日は「顔ダンス」という方法をとっていました。この日は、充分に客席から見えるので横たわるダンスでした。
3 日目、「いずるば」での最大の収穫は無伴奏ソロ〜天使のタンゴという流れでした。岩下さんのリクエストでジャンとの無伴奏デュオ10分というのがあり、では10分後に「天使のタンゴ」で入っていくという流れを作りました。私はそのまま二人がその場でタンゴソロダンスを繰り広げると思っていましたが、音楽と同時に二人がダンスを終了。これはちょっと惜しいと思ったので次回からジャンの無伴奏ソロダンス5分に「天使のタンゴ」がはいりそのまま踊るという流れが出来たのです。これは毎回私の楽しみでした。
4 日目、福岡では「アウセンシャス」で大きな変化が起こりました。奥行きのあるスタンダードなステージだったのでジャンがオリヴィエと私の間に大きく両手を挙げて始まり、そのまま形はあまり変えずに前進するというダンスが出来上がりました。不在・亡命・漂泊・政治・絶望・希望などのキーワードが昇華した形で立ち現れる感じは見事でした。これは以後何回か試みられました。またアンコールでのラ・クンパルシータではワンコーラスずつ各人がソロを取るのですが、私がリクエストしてジャンにもやってもらうことにし、彼がおどけたようなステップでステージを横切ったのは本当に楽しかった。
5 日目、広島で無伴奏ソロ〜天使のタンゴが完成、というか私の思ったとおりの形で実現しました。これは嬉しかった。無伴奏ソロからソロのタンゴダンスに移行したのです。おそらく私と千恵さんが思い描いていたピアソラのソロダンスの形が実現した瞬間でした。その後もソロの時に足でリズムを取りタンゴになりつつある状態を出したりしていました。
6日目、京都からは「鮫・エスクアロ」が激しさを帯び始めました。この曲をコントラバスで弾くのはムリなのですが、リハーサルの時に軽い気持ちでやってみたら「行けるかも」と思い毎回トライしました。伴奏とダンスという形にしたくなく、私も数歩ジャンに近づき絡みました。
7 日目あたりから「ヴォルベール」が変わり始めました。ジャンが言うにはある時このダンスが大野一雄さんを思い出してしまうと思った瞬間から停滞し始めたというのです。それを打破すべく毎回変化が見られました。また時間に余裕があるときにやるようになった即興的タンゴと名付けたものがカンドンベやミロンガ、ジュンバなどを含んで行きました。
彼のダンスを観て涙を流された方がとても多かった。張り詰めた「気」、特に喜怒哀楽を表現しない淡々とした佇まいが琴線を刺激したようです。たくまざるユーモアは、泣き笑いを誘発していました。彼に触れた後、人はよりやさしくなれるような気がします。
ご覧になった方はご存じですが、ジャンは踊らないときもずっと舞台上にいました。まるでポーランドの演出家タデウシュ・カントールのようでした。「実はダンスよりも音楽の方が好きなんだ」とよく言っているように音楽をこよなく愛しています。アルト・サックスもずっと練習しています。今回も帰国前に「アルフォンシーナと海」の楽譜を頼まれました。毎回この曲を楽しみにしていたそうで、サックスで練習するんだ、と言っていました。
いろいろな経験を経て最終日のアンコール「忘却」では、図らずも千恵さんとのデュオダンスになりました。この時の空間は本当に本当に暖かなもので包まれていました。